暮らしています。
今日は仕事がお休み。朝から、布団も干してやったぞ。シーツも洗ったぞ。掃除機もかけたぞ。トイレも磨いたぞ。そして大鍋に鶏肉と根菜をグツグツ・・・筑前煮。もう一つの大鍋にみじん切り野菜とベーコンとトマト缶でグツグツ・・・ミネストローネ。こういうの作っとくと、仕事から帰って死ぬほど忙しい夕方の精神安定剤になる。とりあえずあの一品さえあれば、なんとかなるかなと。薄くて心配だった子供の髪もだいぶ伸びてきて、今日はアイドルのようなツインテールに。ゴムが気になってさっそく外そうとするので、すかさず「かわいいね~!と~ってもかわいいね~!」て全力でおだてたらにっこり首をかしげてアイドル級の決め顔。あら、もう「かわいい」の意味わかってるのかしら。とちょっとびっくり。ドラマ「anone」に結構はまっています。セリフがいいなあ。「生きなくていいじゃない。暮らせば。」いやもちろん、自分も、そして子供にも、目標に向かって懸命に生きる楽しさを味わってほしい。なんのために生きるのかとか小難しいこと考えて、色々ぶつかりながら自分の人生を、命をしっかりと生きてほしい。でも、ちょっと、もうなんか疲れたなって時になんかもうわけわからんなって思う時に「暮らせばいいじゃない。」と言ってくれる人がそばにいてくれたらいいな。と思います。ホントは自分で自分に言ってあげられたらいいのだけど。JWからの解放は私にとって「暮らすこと」への罪悪感からの解放でもあったのかもしれない。JW時代、たぶん私は暮らしていなかった。なるべく日常の、そういうの削ぎ落して、JW的に言えば簡素に。JWとして生きてた。なんて言うと大袈裟かな・・テモテでしたっけ?「進歩が全ての人に明らかになるように」生きねばと。辞めてすぐは、なんだか得体のしれない罪悪感が背中にモソって乗っかっていたのですが最近は軽くなりつつあります。時間は平等に流れますね。「時が解決する」なんて諦めの言葉嫌いだったけど今はしみじみ、時の流れがありがたいです。日々の暮らしをベースにまた、ここから新しい出会いや、目標や、そこに向かう努力やそんなキラキラしたものを探せたらいいなと思います。春ですからね。