Vivi e lascia vivere. -7ページ目

Vivi e lascia vivere.

林檎は「赤い」
その「赤」は皆同じ「赤」ではない
俺の「赤」と貴方の「赤」が違う色だというのに
どうして一つの「赤」にまとめようとするのだろうか



 平凡な毎日を送る中学生の逸夫は、隣町から引っ越してきた敦子と文化祭を切欠に関わるようになる。

 タイムカプセルを掘り出したいという敦子の頼みに、平凡からの脱出を感じた逸夫はそれに手を貸すが、その裏には暗い海のような敦子の真意が隠されていた。

 また、同じく逸夫の祖母である「いく」も逸夫に何かを隠しており──。




【感想】


 最近になって再び本を取る様になった。先日までは三浦しおんの「むかしのはなし」を読んでいた。以前と違い殺人者や死体、血や内臓などの演出が少ない作品を好むようになった気がする。推理小説だとしても、坂木司など日常の不思議な謎を解くような、そういう作風を求めるようになった。

 道尾秀介を知ったのは先日のテレビ番組だ。その時に紹介された作品の一文が何とも面白く、彼の小説が主に叙述トリックである事を知り、購入した。蛇足だが京極夏彦さんのうぶめは衝撃的だった。あれは叙述──、違うだろう。一応妖怪小説であるから。──話を戻す。

 内容についてだが、叙述だと思って読んだせいか先が分かりやすく、後半──主に「いく」の昔語り辺りから少し退屈したが、しかし、素晴らしい作品だったと思う。とはいえ、個人的な意見だが──胸に残るかと訊かれると直ぐは頷けないのだが。恐らく、多分、俺はこういう人間心理を描いた作品は合わないんじゃないかと思う。捻くれているのでどうにも、気持ち悪さというか、そういうのを感じてしまう。それがあるから恐らく読後、溜息が出たのだと思う。

 しかしながら楽しめたのは楽しめた。逸夫の心理は確かによく考えると分かる、分かるであろう場面が多々あった。逆に敦子の心理は中々難しかったように思う。一番考えたのは逸夫が弟、多々朗のことを歳が離れていて恥ずかしい、と感じていた所。俺には歳の近い弟しか居ないのでその心情は分からなかったが、良く考えると色々と答えが出てきて面白かった。思春期特有の心理状態からか、それとも弟が出来た事をまだ認められていない事からの抵抗感からか。答えは分からないが純文学でよくする事──国語のテスト問題を解くような──を久しぶりにした。楽しかった。

 それからべただが、文章が美しかった。と言っても俺がおお、と感嘆したのは「いく」が天泣振る志野川を大袈裟に表現した一文だけなのだが。

「雨粒の一個一個がさ、上からの太陽を反射して、そんで下からの水面に光も反射して、鏡の細かい欠片でも散ってるみたいになってね」

 ああ、と思った。優しいけれど綺麗な文章だな、と。夏目漱石辺りだとこの辺りにりんろうだかほうろうだかああ、きゅうそうだったか。色々と宝石の名を書くんだろうが。忘れた。

 現実的──といえば現実的なのだろうか。個人的には亡命やいじめなどはそう簡単に──人形をダムに捨てた事で──忘れる、もしくは乗り越える事は出来ないのではないか、とは思うが。しかしながらあれでしか方法は無かったのだろうなとも思う。言葉をかけるにも適当な言葉は見つからないだろうし、おそらく逸夫にいじめを止める力も無いであろうから。主人公は中学生なのだと思えば、納得が出来る。もし逸夫が自殺の所でありきたりな台詞でも吐いたら、恐らく俺が吐いただろう。何だこの偽善者はと。だから心理的には本当に上手く書かれていると思う。あと、友人の智樹に森崎の事を話さなかったところもリアルだなと感じたし、絹田の人間性もこういう人が格好良いんだなと思わせる程良く出来ていた。

 絹田──、格好良すぎる。「男に頼まれごとされると、俺中々断れないんだよ」だったか、この一文で惚れた。本当、格好良すぎる。この男も、フラフラした奴とか軟派な奴とかじゃ駄目なんだ。芯を持ってたり、こう、男としての何かをちゃんと持ってる相手でないと駄目なんだと思う。その時の逸夫にはそれがあって、だから頼みを受けた絹田が、さすがだなと。男だなと思った。結婚おめでとう。笑子さんは絶対何かある人だとあの一文で分かった。あれは悪いが、フラグだったと俺は思っている。ああいう苦しい中で楽天的というより、ソフトに前向きな事を言う人は絶対過去に苦しんでいる人だと。漫画では常識。でも好きなキャラだ。この作品には良いキャラクターが本当に多かったと思う。

 もう一度読み直せば、また深く分かる、細かいところにも気付くかもしれないので、もう一作買った「カササギたちの四季」と、綾辻さんの黒猫館──やっと買えた──を読んでから読み直す気でいる。