マツダ(ユーノス)ロードスターとは・・・

平成元年に発売のオープン2シーター。
それまで日本のクルマ業界において、2シーターというのも、オープンカーというのも、絶滅しつつあった。
実際、マツダではそもそも開発指令など出しておらず、開発の初期は”どうしても、こういうクルマを造ってみたい”という社内の有志が集まり、仕事時間外に空き部屋で始めたプロジェクトだった。

当初は反対も多かった。”そういう分野の需要はもう無い””コウモリ傘を差したようなクルマが現代で売れるはず無い”などといわれ、どうせ商品化出来るはずもないと思われていた。それでも彼らは諦めなかった。

”このクルマのキーを持つほんの少しの勇気があれば、「だれもが、しあわせになる」”
これが、初代ロードスターのキャッチフレーズだった。
『人馬一体』という走行性能は勿論、老若男女誰が乗っても似合う様にデザインされたエクステリア。日本の茶室の様な潔い機能美を重視したインテリア。プライベートで自分好みに弄る楽しさも感じて貰おうという事も前提としたシンプルでタフな設計。夫婦で2~3日の旅行にも行ける様にと設定したラゲッジスペース。お金の無い若者でも頑張れば買える価格設定。それらはすべて「だれもが」「しあわせになる」というコンセプトの為に考えられたのだ。

まだまだ、細かい所への拘りは数えきれないが、つまり、「カッコいい」クルマを造ろうとしたのではなく、「速い」クルマを造ろうとしたのではなく、「しあわせになる」クルマを造ろうとした所が、一番素晴らしい事だったのではないかと思う。

「勿論、人の幸せなど十人十色であり、規定など出来る物ではないが、だからこそ自分の思う幸せを形にして世に出し、共感できる人には幸せになって欲しいという願いを込めたし、またこれからはそういう時代になっていくだろうと思っていた」と開発主査は実際に語っている。

そこには完全にクルマを通して人と人との対話というか、心の交流が存在するのだ。
道具に思いを込め、それを道具は人に還す。それはある意味、高次元な人の業だと思う。そういうレベルで造られたモノはクルマも探査機も問わず、人を感動させる事が出来るのだろう。

平成元年にロードスターが爆発的に売れ、その後いろんなメーカーが後を追ってオープン2シーターを開発し販売されたが、ほとんどは生産中止となり、結局生き残ったのはロードスター位であり、その事実が開発主査の言葉を正に証明している。


当時1台目のクルマに乗りながら、ロードスターの事を色々調べていくうちに、こうして知り、絶対にいつか乗る!と決意を新たにしたのだった。

CLOUDNOTE-雲の旋律-

大きな被害をもたらす台風のエネルギー。
過ぎ去った後の空一面に広がる光と風と水(水蒸気)の芸術。
どちらも言葉が出ないほど、圧倒的だ。

地球の息吹を少しでも学問として識ることが出来るのならば、お互いを滅ぼさずに生きていく事が出来るのだろうか。
そんなわけで、オープンカーが視野に入った俺だったが、勿論それは頭の中での話。
当時はクルマに対しての興味なんてこれっぽちも無かったので、自由に想像出来たわけで、今冷静に考えると発想が飛躍しているな・・・と自らの思考回路に脱帽である。時には無知なる行動も良いものですな。

しかし、オープンカーと言ってもどんなクルマがあるのかも知らなかったので、ネットで探してみた。すると、”ロードスター”という名前がヒットしたのである。
最初はロード(道の)スター(星)なんて、なんてナンパな名前なのだろうと一瞬引いたものの
あせる、よく調べてみると日本車(マツダ)で、『人馬一体』を標榜しているほど走りには拘ったモデルで、ある程度の実用性(トランクの存在)もあり、しかし趣味性も高く、オープンカーの販売台数がギネスブックに載っている人気のあるクルマで、発売から15年経っても手放したくないオーナーが圧倒的に多いらしいという情報を知り、何よりスポーツカーらしくない丸みを帯びた爽やかなデザインに好感を得た。オープンカーと言えば専用設計になってしまうのでどうしても高価になる傾向がある。しかし価格的にもまあ、頑張れば手に届くかなという位なのが良かった。他のオープンモデルからするとバーゲンプライスと言ってもいいかも知れない。
こうして総合的にみて、”これは悪くないかも”と思ったのであった。

それでも1台目から乗るのは流石に生意気、というか勿体無いし先立つ物も無いので2台目以降の選択肢として考えておく事に決定したのである。

ちなみにロードスター(roadster)とは”小さな幌付きの馬車””屋根の無い自動車”という意味であって、道の星(road star)とは何の関係も無いので悪しからず。