武士道ブームがやってきた。ドラマ「龍馬伝」の影響で幕末ものが流行している昨今、日本の美学を問い直そうという機運が高まっているのだろうか。長い封建時代のなかにあって、武士道は光り輝く北極星のごとく、われわれ日本人の進むべき道を照らしてきた。それは日本独自の価値観であり、モラルであり、美のあり方である。


いうまでもなく、武士道のみが日本の思想ではない。実際、人口のわずか数パーセントにも満たない武士の心得が、総じてすべての日本人の美意識の源泉になるということはありえない。ほとんどの日本人は農民なのである。武士道の淵源はさまざまであるが、哲学的な骨組みとしては儒教に端を発する陽明学と、禅が挙げられる。これら二つの思想は中国で生まれ、開花したものであって、そのまま日本人の心を潤したわけではない。陽明学も、禅も、広漠たる中国大陸の乾いた風土の産物であるゆえに、その性格は豪快であり、勇壮であり、合理的ですらある。それは中国文明の性格を多分に身にまとっている。


日本列島は島国であり、豊富な水分によって湿潤の気候を保ってきた。ゆえにそこから生まれる神話、伝承、詩歌、宗教は水のように潤いを持ち、繊細で、女性的である。合理的に世界を分けることを嫌い、あらゆるものを灰色のまま、非対称のまま、いうなればあるがまま受け入れ、とどめようとする。その心は山の端にただよう靄のようにはかなく、ゆらいでいる。日本人が好む美とはこのように流れるものである。それは薄桃色の桜の花のように、淡く、そしてすがすがしい。


中国的であった仏教は日本で新しい変容をとげることになる。中国人のように合理的に世界を把握しようとするのではなく、日本人は心情的に、感性的に、ときには感傷的に世界を眺めた。世界の無常という研ぎ澄まされたインド人の叡智による哲学は、日本に来て「もののあはれ」という文学的な美意識に生まれ変わった。すべてのものはうつろう、この世に常住のものは何もない。このようなきわめて哲学的な観点も、日本人には心であじわうべきものとなったのである。すなわち、桜の花はいつ散るとも知れぬ身であるゆえに美しく、野辺の葉に宿る雨露は明日には消えているであろうゆえに尊いのである。


そのように儚い生を愛し、いつくしむ日本人が、いったいどのようにして儒教的な価値観を受け入れられたのか。そしてそれを武士道とよび、日本人独自の価値として発展させることができたのか。日本人本来の心象からいって、合理的な価値体系は好まないはずである。いったい武士道なるものは本当に存在していたのか。武士道という言葉自体が、明治以降に生まれたものであることを考えると、どうもそれは、近代化を急ぐ明治の知識人たちが、欧米の思想に対抗するために、やっきになって作り上げた観念だけの思想なのではないかと思えてならないのである。日本の思想、日本の美、日本の魂はもっと別のところにあるのではないだろか。それを探求したい。

2ヶ月ほど前、とある居酒屋の外でイタリア人の留学生と話をした。ヴェネチアから来た女の子で、美しい日本語を話す。日本の宗教を勉強中なのだという。仏教かと思いきや、神道であった。海外の人で神道に関心を持っている人は初めてであったし、新鮮な驚きだった。彼女は、仏教という新しい外来の宗教を受容した後も、古代の自然崇拝である神道が今なお日本に残っていることに純粋に驚き、探求したくなったのだそうだ。日本人の自分としては、日本で仏教が神道とともに争いなく共存していることにほとんど疑問を感じない。寺院のとなりに神社があっても、それは自然な風景の一部として難なくとらえることができる。それは何故だろうか。日本人の素直さ-あるがままにすべてを受け入れる-こころがそうさせていると言ってしまえばそこまでだが、そこには日本人の精神性や民族的気質といったものが背後にはたらいていることは疑い得ない。カミも仏も、日本人には「ありがたい」存在なのだ。このありがたいという言葉は、英語に翻訳不可能である。すくなくとも今の私には。かくして古代の信仰である神道は今日もなお命脈を保っている。




ところがイタリアでは、キリスト教という一神教がやってきて以来、古代の自然宗教はほぼ完全に消え去ってしまった。石や、水や、風や、木が神(spirit)であった時代は過去のものとなり、天にいます絶対者としての神(deus)が一切の力のみなもととなり、また一切の帰結していく存在となった。なぜ、ヨーロッパにおいて汎神教は消えていったのだろう。




この愉しい対話から得るものは多かった。彼女の瞳は、彼女の故郷に流れるヴェネチア川の水のように碧く澄んでいた。ほの暗い杉の森のただ中に、青い光を受けながら、こつぜんと姿を現す古さびた鳥居を見たとき、いったいどのような顔をしたのだろうか。