フォロー申請の方はビジネス系だし
いいねもビジネス系がほとんどなので
まぁあまり見ていないのですが
時々タイトルが面白そうだなぁ~とみるときもあります。
ビジネス系の人は文章が分かりやすいですね。
私はただただ書きたいことをつらつら書いているので
読みにくい自覚はあります。
でもここに書くことが仕事のマインドではなく
頭の整理なので
はき出すと言うことで自分自身がスッキリするかなと。
でも、それでは何も生まれないのはわかっています。
今の私は好き勝手出来るので
努力をしていないのかもなぁ~なんて思います。
仕事はしているので給料はちゃんとあり
趣味の仲間と始めた活動もお小遣い程度とはいえ
収入があります。
婚活のボランティアも何気に経費を貰えるので
収入になっています。
その他の多少の収入もあり
月の私の収入は普通のOLよりはいいと思います。
かといって、それは遊びに使うというよりも
サブ的な形で残し
生活費や交友費だけではなく
子供たちの学費や生活費なども
全部夫の収入で賄っています。
夫の収入は私の収入より多いので
基本的には夫の収入で生活してきています。
結婚当初は20年以上前になりますが
夫の収入が今よりうんと少なく
加えて、夫は貯金が出来ない人でした。
実家暮らしで、専門職で、しっかりしていると思っていましたが
車が好きで友達も多く、交友関係にお金を使うのと
資格を取るために学校にも通っていたのでその学費ローンと
何に使っているか、本人も把握できないお金の使い方をする人で
毎月、給料の全部がなくなるという
計画性のない人でした。
なので、当然結婚費用など出せるわけもなく
親に援助を受けていたし
実家暮らしを経験したいとアパートに最初は生活していましたが
私がパートを一年ぐらい続けた後に妊娠して
つわりが酷くて働けなくなり
夫の収入と、少しばかりの私の貯金を頼りに生活していました。
ありがたいことに、親からなんだかんだとの副収入や
結婚式でのプラス分を貰えたので
私の貯金には手を付けずに頑張れました。
当時、夫の給料は20万程度。
アパート駐車場代が2DKで6万5千円。
食費や光熱費、ガソリン代にその他の交友費と
本当にギリギリでしたが
子供が生まれたら、私は少ない夫の収入から
子供のためにコツコツと貯めました。
2人目を妊娠すると、さらに家計は苦しくなり
アパートも狭いし・・・。
引越しを考えたかったけどお金がなく
どうしようかと悩んでいた時期に
夫の実家への同居の話しが出ました。
当時は上の子は2歳になる前で
下の子は妊娠中でつわりが酷く
色々考えても、お金がないなって思っていたし
それでも、同居が嫌で仕方ないから
本気で離婚したいって思っていました。
結婚してから、夫の帰りは遅く土日も仕事があるし
資格試験の勉強もあって、上の子が乳飲み子でも
私はワンオペでした。
でも、当時は実家の両親も元気だし頼れました。
お金がないのに帰りが遅い事を嘆くと
母はよく励ましてくれました。
おかずを持たせてくれたり
色々助かりました。
結局は下の子が生まれる直前に
二世帯住居を立てて
土地は義実家の場所で、建物は一部補助してもらい
半分をローンを自分たちで組み
同居をすることになりました。
でも、後悔ばかりでした。
アウエーの状態は辛く
色んな口出しやダメ出しや
嫌な思いは本当に沢山ありました。
産後は上の子の育児と下の子の育児。
夫は相変わらず帰りが遅い。義実家は上の子を甘やかし
全然言うことを聞かない子になっていました。
子育てと環境のストレスが酷く
親戚の集まりでは嫁は使用人のようで
本当に嫌で嫌で
ある時病気になりました。全身に発疹が出て
高熱が出て、体がだるく苦しい病気でした。
まだ1歳になったばかりの下の子は実家に預け
上の子は義実家に預け
私は入院しました。
この入院も退院後が大変でしたが
でも、これが私の転機になり
強い私が形成されて行くことになるのですが。
あの入院から19年すぎたんだなぁ~とおもいます。
もうすぐ下の子は20歳になるので。
そして、その約2年後に夫は起業して自営業になりました。
給料は安かったけど
それまでコツコツ貯めたお金を資本金にして
私も半分出しました。
起業での親の援助は全くなく。自己資金で頑張りました。
子供たちが幼い時、起業して間もない夫は本当に忙しく
子育ては相変わらず土日はほとんどいないとかでしたが
私は土日はママ友と夏はプールや海。冬はスキーと
一人でつれて行きました。
それ以外にも実家の両親と旅行したり
色んなサークルや出先で出来た友達がいて
ワンオペ育児というより、ママ友との楽しい子育てになりました。
息子たちはママがとにかく大好きで
取り合いぐらいの時期もありましたが
小学校を卒業する時期にはそれぞれ友達の方がずっといいし
色々苦労もあったけど
小学校の時期に、夫の会社も軌道に乗り始め
年々収入があがりました。
夫が子育てでものすごい怒ったのは
上の子が小4の時。習っていた公文が嫌で宿題をしない日が続いて
それを私が夫に相談したら
「宿題をやれーー!!」と怒りつけ
それに反発した上の子にさらにイラついて
手に持っていた携帯電話(折り畳式)を壁に投げつけました。
自分の携帯ですよ・・・。
それがバキーン!!と割れて
真ん中からプラプラになりました。
仕事で使う携帯なのに・・・。
で、そんなことあっても反抗的だった上の子は
全然子育てに参加しない父親との信頼関係がなかったのです。
それが大きな怒りの最後で、それから夫は殆ど子育てで
怒ることがなくなりました。
それまでは、子供を怒鳴っている声は夫の両親に聞こえて
心配した義母が見に来て止めたぐらいですが
全然、夫は怒らなくなり
子育ても、怒るのも全部私になりました。
習い事も塾もすべてにおいて、決断は母親の私。
それは今も、大学生になった今も学費も生活費も夫は殆ど知りません。
でも、私も中学生ぐらいから感情的に怒るのを減らし
高校では何かしらの問題があっても
冷静に対応するようにしました。
夫にもよく相談しました。
自分が直接かかわるより、私にアドバイスする立場です。
決断は私と子供です。
高校生の時、このまま母親の価値観では男の子たちは伸び悩むと思って
それまでほとんど子育てに直接関りを避けていた夫を借り出して
上の子の受験に車で二人で行くとか
担任との面談に行ってもらうとかお願いしました。
色々夫の準備も不足していて、息子は不満は募っていましたが
それでも何度も何度も関りをお願いしました。
うまく行かない時も夫も息子も責めないで
見守ることに徹しました。
まぁ、愚痴も言いましたけどね。
その受験の父親の交通的なサポートが
父と息子の二人旅の最初です。
中学生になって高校生まで家族旅行はなくなりましたが
この受験が親と旅行に行くきっかけになりました。
その後は上の子は現役では受からず
浪人の時には受験にはすべて一人で行っていましたが
受験以外の気分転換で、父親と二人で旅行に行くこともありました。
その時の次男はとってもクールで
家族と旅行に行ってもつまらないと、友達以外とはいかないと言っていました。
本人の希望はいつも尊重して
外食にどちらかが来たくないならつれて行かないし
来たくないとかやりたくないのなら
別にいいですよと放置しました。
ただ、葬祭系は家の責任として出席させたり
お墓参りなどは一緒に行くようにしました。
そして、必ずさせ続けた家の手伝いは風呂掃除です。
これだけはずっと、二人とも当番として家に居る間は
してくれていました。いい加減な洗い方でも直さず
洗いたいやり方で。ただ当番は守ってもらいました。
そんなこんなで、それぞれが大学生になり家を出て暮らすと言うことになった時。
我が家は子供二人が大学生で一人暮らしをしても
3世帯別に暮らしても、経済的に大丈夫な家になっていました。
そして、時々大学生になった息子たちは
家族旅行が楽しいと参加する子たちになりました。
先日も、旅行に行きました。
参加できる場所から集合して、帰る時はそれぞれの家に帰る。
自由参加でいいし、帰る方法はそれぞれです。
GWも九州に旅をしました。
とても楽しくて。
それぞれの日程で帰り
後ほど4人で通話をつなげて母の日の電話でしゃべった時
「旅がすごい楽しかった~!」
「おれ、この家族好きだ~!」
と二人して、両親に感謝しているし両親が好きだし
家族が大好きだと言っていました。
それがざっとこの家族の様子です。
色んな苦労がありました。
同居もしたし、介護もあって、嫌いとか嫌な気持ちとか
お金がない時代とか、親を見送ったりや
自営業も担って、援助もなく
子供たちを大学進学させて、そして私も自分の人生を楽しんでいる。
収入はかなり増えました。
夫の仕事の頑張りは、夫の才能を伸ばせていることは
すごいと思うし、私にはない才能を生かせるために
子育てより、仕事に集中させたことは良かったし
息子たちは成長して、自分たちの子育てをしてくれなかった父親ではなく
自営業で頑張っている立派な父親として
父親としても人としても尊敬しているし、好きだと言っています。
息子たちが素直に父親を好きでいることはとてもいいと思っています。
私が陰ながら、お父さんはすごいんだよと
何度も何度も言い続け
そして、私もどんな困難からも逃げない母親だったので
息子たちは、不登校とかとは無縁で
自分の道をしっかり歩める人間に成長してきています。
色んなことがあったけど
今が楽しいし、この先も楽しい予定を作って
まだまだ楽しい人生にしようと思っています。
ビジネス的なブログではないですが
私はここで色々吐き出せているから
精神的安定があります。
ありがとう。