人生は楽しんだ方がいい。

 

それは自分自身が本当に思っている事。

でも、その一方で

私自身は誰かを本当に信じ切ると言うことが

多分出来ない。

 

この場合は家族は特別な存在で

特に、息子たちへの思いは一言で言うなら

『大事な存在』

夫に対しては

『共に生きる同志』

だと思う。

 

でも、『信頼』と『信じ切る』というのは

ちょっと違うかなと思っている。

 

信じ切るって言うのは

自分の中で思考停止しているような感覚。

 

信頼って言うのは、もし思うようにいかなくても

思っていたことと相手が違っていたとしても

自分の感情を理由にガッカリしないこと。

 

家族を引き合いに出すと贔屓目で見てしまい

そこに距離感を持つのは大事で

信じ切っていないと言うことが

ある意味で厳しさにもなり

甘やかしてしまう自分を制止できるのではと思う。

 

自分に家族が出来たことは

私にとって見たら大きいと思う。

 

私自身は、親への信頼が揺るいだ時があって

自分の存在を否定されているって感じていた時が長かった。

 

特に母は、自分の人生の足りない部分を私に投下したかっただろうに

私は思い通りに行かない子だった。

本当は、自慢の娘にしたかったのだろうな。

でも、私は何でも中途半端で残念な子だったと思う。

 

母の思いには答えきれない。

でも、母はどうにか自分の自慢になって欲しいと願っていた。

それで、時々私に否定的な言葉を投げかけて

私はそれに反発しつつも、残念な娘なんだって自覚したのだろう。

 

自己肯定感が低かった。

自分の顔が嫌いだった。パーツが嫌だった。

そしたら性格も嫌だった。

うまく笑えなかった。笑った顔が嫌いだった。

 

仲のいい友達が高校時代にできて

太陽みたいに笑う子だった。

大好きだった。

本当に信用していた。ずっと友達だって思っていた。

 

今まで小学校時代からずっと続いている友達はいても

引越しをきっかけに、なかなか会う機会がなくなった。

会わないからむしろ、今まで友達と言えるのかもしれないけど

それ以来の高校時代の友達で親友だって思っていた。

 

だけど、彼女は私を裏切った。

裏切ったのか?

そうではなく、私が好きだって思って仲良くしていて

そして彼女にも相談していて

彼女が好きだから、彼女の事を彼に褒めていた。

『友達を褒めるいい子』だったと思う。

当時は本当に親友だって思っていたから。

 

でも、ある時・・・。

「おれ、あいつと付き合っているんだ」

と聞かされた。

 

当時は私と彼は上京していて

友達は地元に残っていた。

その距離なのに、付き合っていた??

聞いたら、私と会っていた時期にはすでに付き合っていて

それを何も私は知らなかった。

 

その年の4月に上京していて聞かされたのはGW前で

GWに地元に戻って彼女と会った。

 

彼女は言いにくそうに

「そうなんだ・・・ごめんね言えなくて」

と言った。

 

目の前が真っ暗というか・・・。

彼女に会いに行く時に買ったたこ焼きは冷えていた。

冷たくなっていくたこ焼きは、二人の関係のようだった。

 

その時は私はまだ友達でいれるって思った。

でも、笑顔が張り付いてじゃあねまたね!って彼女と別れた。

うまく笑えないのに、もっと笑えなくなった。

 

その日から本当に眠れなくなって。

信じていた人に、心から信じていた親友に裏切られた。

彼女の顔を思い出すと、あれが勝ち組の顔って思う。

ごめんねって言いながら、私に勝った顔だった。

泣いていたけど、あの涙は自分だけの涙だと思う。

 

裏切られたんだなぁ・・・。

その後は彼にも会ったけど、まぁそうだよね

彼女を選ぶよね。

私なんて何にもないもん。

 

それからの私の転落っぷりは酷くて

進学先に戻ったけど、眠れない毎日が続いて

学校でも様子がおかしくなっていき

出来立ての友達とうまく行かなくなった

アパートの騒音でアパートでは寝れないから

眠れる場所を探してさまよった。

ご飯も食べれなくなってガリガリに痩せた。

 

思い出すと本当に危ない人間になっていて

幻想や幻覚や被害妄想まで現れて

一人暮らしが出来なくなった。

いつごろか忘れたけど夏が終わるころには

多分、実家に連れ戻されていたのではないか?

もっと前かもしれない。

地元に戻ってもおかしくて

母は私を見て本当に混乱しているようで

父も怒鳴るように怒るけど

私がおかしいのをわかって

そのあとに、私を精神病院にいれようと

いくつかの病院を訪ねたのを覚えている。

最初に入れられた病院は1か月ぐらいで出されて

違う病院に入りなおした。

その病院の出来事は断片的に覚えている。

 

あ~この中の状況は外の世界の人は何も知らないのかなぁ~と思った。

普通の世界で普通に生きれない人たちが

普通に暮らしている場所だった。

いつかはあの場所の生活も思い出せない時が来るのかなって思ったけど

でも、こうやって思い出す。

 

冬を迎える頃に、父が無理に退院させた。

「ここにいても絶対に治らない!!」

父の信念だった。

 

退院した後に、しばらく実家に帰って

そのあとに、遠方の自然療法院に連れていかれた。

電車を乗り継いでかなり遠かったけど

駅から歩いて向かう途中に

精神薬が切れたのか、私の状態がおかしくなった。

歩いていても、眼球が後ろにひっくり返るような

真っすぐ歩けない、後ろにのけぞるようになる。

歩けないよと、父に助けを求めても

何やってるんだ!!と怒鳴って、引っ張られた。

 

やっと病院に着いたけど

入院することを知らなくて

しばらくしたら父はいなくなった。

 

木の板と木の枕の固い場所に寝るとか

食事は植物性中心とか、断食の人もいたけど

風呂は水とお湯の交互湯とか

変な運動を早朝からするとか

おかしくて理解できなかった。

まだ、精神病院での生活の方がましに思えた。

 

今思い返したら、断食道場みたいな場所だった。

その人の体調体質に合わせて処方は違った。

 

その場所は雑魚寝のように、数人が並んで寝て

おばさんから若い人まで様々で

仲良くなんてなれないって思った。

でも、しばらくたつと

私は同室のおばさんに

母との関係で悩んでいる話をした。

その方は

「やっと自分の話しをしたね。

 ここは全部吐き出していく場所だからね」

と言ってくれた。

 

母とのうまく行かない関係が

私の人生に影響があったのかもしれない。

 

母親に認めてもらえない子供は不幸なのかもしれない。

私は自己肯定感が低く、でも友達に依存する子だった。

それが、高校時代の親友だと思っていた子を信じすぎて

知らなかったとはいえ、私の好きだった人と付き合っていて

それを私が知らなくて、ショックだっただけで

今思えば、人を好きになる気持ちって仕方ないよねって思う。

 

でも、私は親友という人はそれ以来いない。

どんなに仲良くなっても、友達ではあっても親友ではない。

親友は怖い。

信じ切ってしまうのは怖い事だ。

 

それから、私は精神的な病はその病院に10日間ほど入院して

退院して、実家に戻ってからは

学校は中退になっていて、進学先のアパートも引き払われていて

戻る場所は実家しかなくて

実家に毎日いても暇なのでアルバイトを探した。

家の近くのケーキ屋さん。

しばらく働いていたら、太った。

太ったから、父と夜走ることにした。

 

運動した方がいいぞ。

貯金はした方がいいぞ。

がんばる方がいいぞ。

 

父はそう言って、私が壊れた理由を追及はしなかった。

進学してから、私は実家に電話をかけても

母とは話したくないと言っていた。

母が私に色々要求するような気がして嫌だったんだろう。

「お母さんがさみしがってるぞ」と言われたけど

嫌だった。

 

精神科に入院していた時も

お見舞いに来ると、私の顔をしっかり見て強く話す父の横で

母は青い顔をして具合悪そうにして

それが私のせいだからねみたいな感じで見放したい顔でいた

なんでこんな娘なんだろう。嫌だこんな子。

そう思っていそうな気がして・・・。

 

母はいつも、自分の辛さを隠さない人で

自分が中心なところがあった

自分が辛いから自分が大変だから

だから助けるのは当たり前でしょう?

そういう感じに、私は利用されたのかなぁ。

 

母の事は母親だから大事ではあるけど

でも、私にとっては重荷だったのかもしれない。

 

その後、私は彼氏が出来たりして

これがかなりの精神的リハビリになって

元気になって行った。

その彼とは私の気持ちが冷めていく出来事があって

別れたけど

 

その後にも、何度も恋愛をして色々経験をして

そして、今の夫と出会った。

 

夫の家は、男尊女卑な気質があるけど

母親が母親らしかった。

実に安定感があった。

 

こういう家に育つと、子供って安定感の芯が育つんだな。

夫の兄弟はみんな芯がしっかりしている。

 

母との関係は、結婚して子供が生まれて

子育ての事など助けてもらって改善していった。

息子たちは本当におばあちゃんが大好きだ。

 

でも、母が病気になって母は自分の辛さから

また私を否定し始めた。

自分の思い通りの介護がしてもらえない。

その辛さをすがりつくような事を私が担うことになり

そばに居た父も大変さから八つ当たりが増えて

それが私にばかりで

私も壊れそうになった。

 

それでも向き合っていたと思う。

向き合っていたけど、辛かった。

私を否定する言葉をさすように言う。

 

やっぱり私は私のままではダメなんだなぁ。

 

母がしゃべれなくなった時に

悲しくはあったけど、もう否定されないんだって思った。

 

母が亡くなった時、本当に悲しかったけど

やっとこの辛さから解放されるんだって思った。

 

母が亡くなって4年が過ぎて思う事は

私がもう一度、精神疾患になることはないと思う。

 

あんなに不安定で、時々かけていた

電話相談のカウンセリングもかけていない。

 

私は私のままでいいんだって思える。

まだ少し、うまく行かない時があったとしても

もう、私を根底から否定する人は居ないって思うと

気が楽だなぁと思う。

 

多分、母は私を信じたかったのだと思う。

自分が思う娘になるって信じて生きたかった。

 

そこには、『信じたい』気持ちはあっても

『信頼する』気持ちはなくて

すがるような思いはすべて、自分の人生に足りなさを

私に求めていたかったんだろう。

 

安心したかった。自分の娘は自慢が出来るって。

でも、私は自慢できる娘にはなりきれず

だから、要求は止まらなかった。

 

母の求めることは、いつも自分の満足だったと思う。

満足いく人生を歩みたいから

求め続ける。

『要求する人』だったんだろう。

 

色々考えて答えが欲しくても

もう母はいない。

 

私もいつしか、この世から去る時に

家族は私をどう思うのか?

 

息子たちは、私たちが親でよかったと

本当にありがとうと言う気持ちで進学先で生活してる。

 

正直言って、私が一人暮らしをしていた時に比べて

すごくしっかりしている。

料理もちゃんと出来るようになり、部屋もちゃんとしている。

何より、人間関係がいいと思う。

 

安定感があって、向上心があって

親への感謝もあって

こんなにしっかり子供って育つのか!!

 

そう思うと、私が子供に感謝したい。

ありがとう。しっかり育ってくれて。

 

生きていくために、人と関わることが大事だし

進学先で、ちゃんと学べている事が大事。

 

それでも、彼らだって時々悩むし

うまく行かなさを感じるときもあると思う。

 

でも、その時に困った時に

親なら信用できるって思える存在でいたい。

 

私自身は19歳でおかしくなって、精神疾患になって

あの世界を知ることになったけど

母への信頼が出来ずに、うまく行かない時も多かったけど

 

でも、そんな私でも

こうやって家庭を持って、子育てを通して

自分の気づきや、子供の成長に感謝できる人間になれる。

 

親友に裏切られてそれから人を信じ切れなくなったけど

でも、家族は持てた。

 

友達とは、距離感を知った。

自分以外の人はみんな他人なのだ。

信じ切ることはない。

 

でも、人生は楽しめる。

 

人を信じれなくても

人生は楽しい。

 

自分の人生は自分で楽しいと思えるように出来る。

 

そうやっぱり思う。