不妊治療のクリニックの医師のブログを横断的に読んでいると、夫婦の在り方に言及する記事は時々あり、毎度、我が家と世間との著しいズレを確認し、そっとブラウザを閉じる自分がいる。例えば、「通院になるべく付き添おう」「(都合がつかなくとも)ついて行きたい気持ちを表そう」、程度が増すと「立ち会い移植を推奨する」など。
私、そもそも、通院に付き添って欲しいと思ったことがない。初めて夫が病院についてきたのは、13年前か。当時住んでいた文京区の、近所の産婦人科にて、初めて息子の存在を確認した時のこと。夫と一緒に内診室に案内され、あの特殊な椅子が、90度回転しながらカーテンの向こう側に向かって開脚姿勢になった時、夫が小さな声で呟いた。
「は、はずかちい。。。」
そしてなぜか、終始夫がモジモジしていた。
恥ずかしいのはそんなことを言うお前の方だ。
待合室では、土曜日のため混雑し、立っている人が何人もいたが、夫はソファの椅子に沈み込んでイビキをかいて爆睡していた。立っている妊婦さんも数人いらっしゃったため、いたたまれなくなり、後から来たお腹の大きい妊婦に私が席を譲った(よく考えると私も一応妊婦だったはずだが、妊婦である自覚なし)。夫は朝方会社から帰宅して、2、3時間ほどの仮眠で付き添ったため限界だった、とのちに証言している。
つまり、「夫が通院に付き添ってくれない。」と不満をお持ちの方々がいらっしゃるならば、安心して欲しい。妻側がそう思えるだけで、その夫は既に一定の水準を超えている。
また、「家族を思うからそばにいる。」と同様に「家族を思うから今ここに居ない。」も真実だと思っている。
夫は息子の平日の学校行事には参加したことがない。息子がプリスクールに通っていた頃、イベントで他の子が父親とじゃれあっているのを見て、少し寂しそうにしていた。先生がそれに気づいて、息子のそばにやってきて、ささやいた。
「(息子)のお父さんは家族のことを思っているから、今ここにいないんだよね。家族のことを思って、他の場所で役割を全うしているんだよね。」と。息子が深くうなづいた。
以降、「パパは息子のことを思っているからこそ、今ここに居ない。」を、意識して息子に伝えてきた。これは私自身への言葉でもある。
息子が生まれたばかりの頃、キッチンのシンクにベビーバスを置き、息子を風呂に入れ、ガーゼで撫でながら、「可愛いすぎる。」と夫が涙を流した。その数ヶ月後、起業準備に入り、息子が1、2歳の頃は、息子にとってパパは「あまり見かけない人」になった(夜中に帰ってはいるが)。その時の頑張りが実り、息子はインターに行く、という選択肢を持つことができた。これは、「愛しているからそばにいる」とは違い、伝わりにくいが、夫の、息子に対する愛情の発露のひとつだ。
つまり、夫に通院に付き添って欲しいなどと、つゆぞ思っていない、妻も存在する。でも、鉄のように強くなった妻は、可愛くはないだろう、とも思う。
ゴールデンウィーク通院の待ち時間は、「数学の真髄 —論理と写像—」を読みすすめた。
没頭し、診察でチラージンの処方をお願いするのを忘れた。(気づいてあとで処方してもらった)
