今年になり、我々夫婦が採卵周期に入ると、何故か我が家の家電は不調をきたす。

四月の採卵周期では、冷蔵庫が壊れ、冷凍室が機能しなくなった。キュウサイの青汁も、採卵に備えて作り溜めしておいたミートソースのストックも、全て溶けてしまった。採卵日当日、夫はクリニックで自分の役割を果たすと、その足で家電量販店に直行し、冷蔵庫を購入した。

六月の採卵周期では、シーリングライトレールの天井固定のパーツがぶっ壊れた。

八月の採卵周期では、熱帯夜のちょうど日付が変わる頃、我が家の主力エアコンからボタボタと水滴が垂れ始めた。枝垂れる様に滴る重量感のあるその水滴を、十数秒の間、夫婦で眺めていた。エアコンを買い替えて設置工事をしてもらえるのはいつだろうか、それまで別のエアコンの効く範囲の部屋で生活をしなければならないのか、などと様々な思考が頭を巡った。幸いにも夫がドレンホースの詰まりに気づき、直すことができた。


 もちろんこれらの事象は採卵と関係があるはずもなく、ただの偶然である。冷蔵庫などは、結婚13年目の今年、ちょうど寿命を迎える時期だったのであろう。洗濯機も一昨年に寿命を迎えた。結婚生活も、家電が次々壊れ始めるほどの月日が流れたということだ。


 そんな「若くない」我々夫婦が、もしも再び子供に恵まれることがあるとすれば、若かった時代とはまた一味違う安定感で子育てが出来そうだ。

不妊治療においては、 “若さ” の持つアドバンテージに目が行きがちだ。年齢はまるで、タイムリミットを表す時限爆弾。

しかし、子育てにおいては、ある程度熟成された人間がアドバンテージを持つことも多いと思う。例えば、幼稚園や学校での人間関係において、10年前の自分よりは確実に上手く立ち回れる自信がある。例えば、10年前よりも多くの選択肢を子供に提示できる自信がある。(あくまで若い時の自分との比較の話)

だから、自分たちの年齢と熟成に、またそれを子育てに活かせることに、私は胸を張りたい。