息子はまだ小4で習う漢字が書けない。ただ、日本語の読み書きができないという意味でなく、(分野によって読める読めないの偏りがかなりあるものの)常用漢字の6、7割くらいは「読める」(特殊な読みは除く)。好きな分野に関しては、常用外漢字も結構読める。


 このような状況は、私が何を取捨選択してきたかに起因する。

もしかしたら、もしかして、「インターに通わせると勝手にバイリンガルになるんでしょ、楽だよね。」と思われる方もいるかもしれない。それは、だいぶ真実とはかけ離れていると声を大にして言いたい。特に幼少期、日本語の発達と英語の発達はトレードオフだ。英語に子供を浸している時間、そのぶん日本語の発達はしっかり遅れる。日本語も英語も、触れた時間、使った時間に比例して発達していく。言語とはそういうものなので。


 それらを踏まえると、バイリンガル育児では学びの効率を重視しなければならない。限られた時間の中で何を捨てて何を優先して学ぶかは選ばざるを得ない。息子の日本語を育てる時、私は何よりも「文章読解能力」に重きを置いた。

先ほど、英語力と日本語力はトレードオフの関係にある、と述べた。そもそもなぜ両者はトレードオフなのか、というと、「一日が24時間であることは誰にとってもそうで、1日の会話の量、耳に入る言葉の量にあまり差はない」という前提があり、モノリンガルかバイリンガルか、はその会話量が1言語に全振りされるのか、2言語に割り振られるのか、という違いになる。更に「言語は触れた量に比例して発達するもの」である。故に、幼少期においては英語の発達と日本語の発達はトレードオフだ。

しかしながら会話の速さに個人差はあまりないが、読む速さには個人差があり、2倍、3倍の速さで文章を読むことは可能だ。つまり、息子が速く読めるようになれば、言い換えれば目で1日に平均の2倍、3倍の言語を浴びることができれば、英語も日本語も、十分なインプットが確保でき、日本語と英語のどちらも犠牲にすることなく育てることができる。文章を速く読むのに必要なのは、漢字を「書く」能力ではなく「読む」能力であり、文章構成を把握する能力であり、文章を要約する能力である。したがって、我が家はこれらを最優先して叩き込んできた。逆に言えば漢字を「書く」ことは一旦捨てた。読めて、意味がわかればそれでいい。熟語の読み方や意味を聞かれれば、音読みを伝えるだけでなく反射的にホワイトボードに熟語を書き下し(必要ならレ点や一二点をつけて訓読みする)、伝えることは常にやってきた。また、小学生時代は中学受験用の問題集を買い込んで(受験しないけど)、長文読解を解き、文章構成の把握や要約に取り組んできた。


 今夏は、息子の国語力の向上のために努力できた気がしている。息子と近代の自己論や現代の自己論について話すことができたのは楽しかった。今年になり、息子が、日本語で学ぶ上で、「この人の授業が面白い。」「自分の頑張りを認めてもらいたい。」そう思う師に会えたことはなによりの追い風だと思う。その師のもとに首都高を乗り回してブンブン送迎し、予習には何時間も付き合い、哲学やら小説やら、噛み応えのある文章読解に取り組んだ。師のおかげで、私単独の力では到底引っ張り上げることのできないところまで、息子を引っ張り上げることができるような気がする。


 読解力からは逸れるが、あまり「書く」ことを重視してこなかった漢字についても、頓に(とみに)興味を示し始め、この数ヶ月で小学3年生の漢字を書けるようになった。日本語の小学校の先生が見たら卒倒しそうな書き順だったりするが、それはまぁ、小さなことだ。この調子でいけば、漢字もあっという間に書けるようになるだろう。


 心地よい夏の達成感・疲労感とともについ色々と総括してしまったが、我が家のバイリンガル育児はまだ道半ばだ。これから中学数年間の頑張りは、大きく成否に関わるだろう。成功するかどうかはまだ私にもわからない。息子が50歳くらいのおっさんになった時、笑って幸せに過ごせていたら、初めて「成功」と言って良いのだろう。

バイリンガル育児には家庭の数だけ形があると思うが、いずれにせよ、とても骨が折れる。しかし、難しいから楽しい。


様々なブログで多様なバイリンガル育児の様子を拝見しているが、良い刺激を受けるとともに、心血を注いで取り組む全ての同志に幸あれ、と思う。