2人目の不妊治療を始めるために一つ目の不妊治療クリニックの門を叩いたのが2023年10月。それ以前にタイミングを取ったりシリンジを使ったりと自分なりの試みを試した期間を入れると、願いは叶わないままとうに2年以上が経過している。
息子を育てながら、周りをふと見回すと兄弟がいない家のほうが少ない。ふと、自分だけ壮大な困難と戦っているような感覚に陥りそうになることがある。そんな時、必ず思い出す詩がある。
一ぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
この かなしみは、どう したら よいでしょう。
でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。
「わたしは もう、いきて いられません。」
と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。
「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」
と、はじめの でんでんむしが、はなしました。
すると、おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」
それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」
そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。
こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。
とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。
「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。
新美南吉「でんでんむしのかなしみ」より
息子に授乳しながら100回以上は読んで聞かせた絵本の一つだ。この詩が息子にそっと寄り添ってくれる時があるかもしれないから。
きっと人間の心の中を覗くと、何も抱えていない人なんて1人もいない。人生を構成する要素は山のようにあって、その中のたった一つ二つの側面を切り取って「有る」「無し」を人と比べる行為に全く意味なんて無いよな、と気づく。
つまり、少し病みそうになった時の処方箋はでんでんむし。