家事をしている時、手のひらがズキっと痛んだ。「気のせい。」と思い、気に留めずにいると、また翌日痛み、それも「気のせい、気のせい。もし傷めていても、明日起きたら治っているだろう。」くらいに思って過ごしていた。そうしているうちに、ある日起きたら、マグカップを持つのも苦労するようになっていた。ようやく「手が痛い」ことを認め、手外科専門の医師がいる整形外科を受診した。診断の結果は、手のひらの筋肉を傷めているとのこと。手を使いすぎないようにして、処方された塗り薬を1日3回くらいもみ込むと、2週間くらいで症状は消えるらしい。
意外だった。私の手のひらはある程度筋肉がついていて、守りたくなるような華奢な薄い手ではない。夫の手のほうがよっぽど華奢で綺麗だ。子供の頃はアップライトピアノより鍵盤の重いグランドピアノ(ヤマハのC7)を1日2時間は弾くのが日課だったし、息子は何もかも「ママがいいー!」というママご指名癖のある幼児だったので育児でも手はよく使ってきた、つまり鍛えてきた。なぜ、それほど酷使していない今、不調が現れたのかよくわからない。最近、土鍋でごはんを炊くのにハマって重い土鍋を扱っていたからか、買い物の時に荷物を持ちすぎたのか。
手が思うように使えないと、手の動きが如何に生活の質と直結するかがわかる。当たり前のものを失うと、その価値の大きさに気づく。不妊治療は言ってみれば、「無い物ねだり」の精神に基づいている。だけど、今足元にあるものにも目を向けて生きていきたい。
