採卵が終わって、「(待機用の)ベッドまで歩いて戻れますか。」というスタッフからの言葉を聞くや否や、突如、軒先の雨垂れの様に、前屈みに起こした頭から大きな水滴がぼたぼたと勝手にしたたり落ちて行くのを、止める方法がわからなかった。感情で涙している時、例えば、妹と喧嘩をした時、夫と言い合いになった時、「私はなぜ怒っているんだろう。」「私はなぜ悲しいんだろう。」と思考に集中することで、涙は止めることができる。しかし今回、スタッフに脇を抱えられ、平衡感覚を失った足を必死に前に進めながら、マスクの中に落ちていく液体の、コントロールの術がまるで見当たらなかった。動くたびに視界が光るのも、水分が目から湧き出すのも、感情が要因ではなく、「痛い」という感覚に対し、時間差で反射として出ている反応だから、どうしようもないのだ。近くにいるスタッフ以外にはバレないように、手で涙を拭わないでいるのがせめてもの抵抗だった。

 針が卵巣の奥に入る時、その針の軌道は「ベクトル」として感じられた。「向き」と「大きさ(距離)」の二つの要素がわかるからだ。「卵巣に痛覚は存在しない。」と書いてあるものが散見されるが、確かに、体表面に近い場所で感じる痛覚と種類が違うことは認める。採卵の20分ほど前に、新人看護師が点滴のルートを取ろうとして、ひじの内側をカニューレがうにょうにょ這い、身悶えする痛みをたまたま体験してしまい *1)、痛覚とはあの様な痛みを言うのであれば、それとは確かに一線を画す痛みではある 。ただ卵巣に痛覚がないことは絶対にない。採卵の針の痛みは、ピアノの、マフラーペダルでフェルトを噛ませた音の様な、痛みだ。ただ、重さで言うと、重低音レベルの重さを伴うので、とても辛い。そばについていてくれたスタッフは、「慢性子宮内膜炎の検査は痛かったですよね。」と何度もその検査に対する共感を示してくれていたが、手術の最後に行った慢性子宮内膜炎の検査と、右の卵巣奥に針を進めた時はどちらが辛かったかと聞かれると、私の中では後者がやや勝る。


医師の名誉のために言うと、おそらく痛みの一番の理由は、卵巣が腫れていたためだ。一年前の採卵では、実は針を「ベクトル」としてではなく、向きのはっきりしない「線分」としか感じなかった。針が進む時の圧痛も布を三枚噛ませたくらいに小さかった。その時に比べて違うのは、私の卵巣の方で、その一年超の間にAMHが3.36ng/mLから5.66ng/mLにまで跳ね上がっており、卵巣刺激に対する腫れ方が全く違うのだ。前回は術前診察でE2は2000程度、今回は卵巣刺激の最初の2日間にレトロゾールを処方するという小技まで使ってくれていたにもかかわらず、E2は3000を悠に越しており、椅子に座る振動だけで下腹部に響く状態だった。医師は非常に手際がよく、狙いを定めると、目標の卵胞に対して、素早く、針を迷いなく進める。痛みの総量を「痛みの大きさ×時間」と定義すると、時間が最小限に抑えられ、総量が可能な限りは小さくとどめられたであろうことを、医師への感謝と共に明記しておく。

 また、手術中に、ずっと話しかけてくれたスタッフが居た。彼女が居たから、耐えられた。いろんな話題を振ってくれていたが、痛さをこらえることに必死で、彼女が何度も投げてくれるスモールトークのボールを全く打ち返せなかった。会話の盛り上がりなどを俯瞰することができず、痛みの隙間を縫って、小学生の様に自分の本音をそのまま、どストレートに言葉にするだけで精一杯だった。冷蔵庫が壊れた話をしたら、「買う予定の機種などありますか。」と聞いてくれたが、「冷蔵庫の機能は、どのメーカーも変わらない様に思えます。」と答え、まるで会話を拒絶しているかのような様相を呈してしまったことを心から詫びたい。冷蔵庫の色とか大きさとか、答えればよかった。

 

 


*1) 交代してくれたベテラン看護師の早業は一瞬で、微塵も痛くなかった。