第二子の妊活を始めて、約2年が経つ。不妊治療の病院に通い始めて一年半あまり。なかなか結果が出せない。きっとうまくいく、と信じる気持ちが揺らぐことも幾度となくある。

 我が家は第二子妊活を、長男が9歳になった時に始めた。これは、日本の平均的な兄弟の歳の差をとうに越しているし、一般的なタイミングではない。不妊治療でうまく結果が出せない時、「卵子の質」という言葉を聞く時、「なぜ、第一子が生まれた数年後に第二子妊活をしなかったのか。」という声は自分の中から勝手に湧き上がってくる。

 しかし、冷静に振り返って考えるに、私は第二子妊活を先延ばしにした過去の自分の決断を最大限肯定することにしようと思う。

毎日毎日「これ何?」「どうして」「なんで」と質問攻めにしてくる息子に精一杯応え続けた日々、私は息子に全力だった。息子が幼稚園だった、ある暑い日、「冷やしたペットボトルの表面に水滴がつくのはなんで?」と息子が聞いてきた時、風邪で寝込んでいた私は、「暑いから汗かいているんじゃない?」と適当に答えた。すると、涙をこぼしながら「ペットボトルに汗腺があるわけないじゃないか。本当のことを教えてほしい。」と、息子は泣きながら怒った。息子に謝り、どうやったら飽和水蒸気量について幼稚園児に伝えられるのかを必死に考えた。「空気に抱っこできる水分の量は、決まっているの。空気の温度が高いほど、空気の中により多くの水分を気体のまま抱っこできる。湿気の多い日本の夏の空気はたくさんの水分を抱っこしているけれど、その空気が、冷やしたペットボトルによって冷やされる。すると、気体のまま抱っこできなくなった水が、液体になって出てくるの。それがこの水滴だよ。」と飽和水蒸気量のグラフを見せながら教えた。何かを理解した時、知った時、息子の顔は輝く。息子の脳の神経ネットワークに電気信号が走る様子が手に取るようにわかるのだった。その顔が見たくて、毎日、息子の質問に対する答えを考え、図書館に通い、博物館に通った。

今はもう、息子には自走する力がある。自分でなんでも調べるし、浴びるように本を読む。

夫が継いだ会社のある県は、教育の選択肢が少なく、私たち夫婦は考え抜いた末、息子の教育拠点と夫の仕事の拠点を分けた。2拠点生活において、夫は平日あまり帰ってこられないので、完全なるワンオペで息子を育てている(現在進行形)。

息子が自走できるようになるまで、必死に伴走したあの日々は、私の宝物だ。


 妊活をしていると、卵子の老化が大きな不妊要因の一つである、ということを頻繁に耳にする。なんでもっと早く産もうとしなかったの?と責められているような気になることもある。しかし、不器用な私には長男を産んだ数年後に妊活をする余裕はなかった。どんなに第二子不妊治療がうまくいかなくとも、私は、私の過去を肯定しようと思う。