現在の貯胚状況を整理してみる。
他院での一回目の採卵で得られた胚は4つあったが、1つは融解時に細胞が壊れ、残り3つは2回に分けて移植。2回ともサッパリしすぎるほどの陰性であった。
現在のクリニックに転院してきてから半年間ほど貯胚に励んでいる。今得られた胚は以下の通りである。
初期胚
・7G3(DC2)
・6G3
胚盤胞
・6日目4AA(7G3)
・5日目4BB(8G1)
・5日目3AA(9G2)
・5日目4AC(8G2)
・5日目4BC(RC,6G4)
・6日目4CB(DC2,9G3)
・6日目4BC(DC2,9G3)
・5日目3AC(8G2)
・6日目4BC(DC2,10G3)
・6日目4CC(DC2,12G3)
あと一回分保険が残っているのにも関わらず、自費に切り替えて採卵をしているのは、少しでも年齢の若い時に(これからの人生の中で今が一番若い)、胚を作る工程を集中してやり切るためだ。つまり採卵をやめる時は、生涯において採卵をやり切ったと思えた時だ。中途半端に貯胚を切り上げて、時間を浪費した後にまた採卵に戻るならば、自費で貯胚した意味がなくなってしまう。
河合隼雄の「こころの処方箋」に次のような文章がある。
“いつも努力を続けているのだが、その割に報われることがすくない、とか、損をしているとか嘆く人がいる。確かに話を聞いてみると、よく努力をしているのだが、大切なところで貧乏くじを引いたり、少しのことで遅れを取ったりしてしまう。”
“「運が悪い」と嘆く前に考えて見なくてはならぬことが沢山あるが、そのなかのひとつとして、人生には時に「100点以外はダメなときがある」ことを知る必要がある。努力を続けてきた、という人のなかには、常に80点の努力を続けてきている人がある。確かにその人の「平均点」は人並以上どころか、大変に高い。ところが、100点以外はダメ、というときも80点をとっていては駄目なのである”
“人生にも、ここぞというときがある。それはそれほど回数の多いものではない。とすると、その時に準備も十分にせず、覚悟をきめずに臨むのは、まったく馬鹿げている。ところが、あんがい、そのようなときでも90点も取ればよかろう、という態度で臨む人が多いように思われる。このような人が、自分はいつも努力しているのに、運が悪いと嘆くのは、ことの道理がわかっていないと言うべきであろう。”
貯胚をしている今は、まさにここぞという時である。子供をもうけるには我々夫婦は高齢だと自覚しているが*1)、夫婦の精神的な繋がりの強さと、夫の経済的な逞しさと、その他色々なものが揃った今、思い切った挑戦ができるし、年齢的にギリギリの可能性を追える最後のタイミングという気がするからだ。
だからこそ自問自答してしまう。
私は今、100点の努力ができているだろうか。
*1) 誕生日の記事では「若者」だ、なんて盛大にふざけましたがw。