2月にはいりましたねーピンク薔薇

 

寒いけどなっ!!

 

どうも、よなです口笛

間違えて、どうも、よねですって打ったの、直した。

いらん報告。

 

 

いつぞや、つくったかぼちゃのグラタンー!!

 

カボチャはマロンスターなる品種らしい。

カボチャなのに、マロンを想起させるネーミング。

マロンってなんだか、おしゃれな雰囲気も醸しているし、

ネーミングセンスあるなぁにっこり

なんか感心してらっしゃる

 

 

ブログ書いてるときもそうだけど、

「なんか」ってめっちゃ口癖やなー。唐突

 

ブログアップする前に見返して、

「なんか」過剰やな。って削除したりするもの。

 

「なんか」が口癖の人の性格と心理

(1)感覚的な捉え方をしている

(2)自分に自信がない

(3)人との衝突を避けたい

(4)不平・不満を話したい

(5)自分のペースを保ちたい

(6)劣等感が強い

(7)言いたいことを言葉にするのが苦手

(8)不快な気持ちを分かってほしい

(9)自分を良く見せたい

(10)ネガティブな思考をしやすい

(11)伝えることを諦めている

(12)話を聞いてほしい

(13)同意をしてほしい

(14)傷つきたくない

(15)主導権を握りたい

 

こちらのページから抜粋させて頂きました↓↓

https://woman.mynavi.jp/article/230519-9/

 

 

心当たりがありすぎて草やな。

皆さま、どんな口癖もってるでしょうか?

おもろw

 

 

さてさて。

今日は、最近感じたことについて。

 

 

「私は、湧いてきたこの気持ちを無視しない」

 

なんか、一見すると素敵ワードに聞こえる。

 

けど、けど、けどさぁ。

 

思考も感情も湧くものであって、

そりゃコントロールはできないさ。

 

いや、思考は結構コントロールできるのかもしれんな。

が、話がそれるので一旦それはステイだ。

 

湧いてきた気持ちというのは、

恐らく、

湧いてきた感情

ということなのだと思う。

 

んなもん、無視しないのは、

当たり前田のクラッカー。

 

 

でもさ、それを採用しなくてもいいんじゃない??

ってことを言いたくて、冬。2026。

 

感情が湧くというのはいくつか、

パティーンがある、と思っていて

 

そのパティーン一つとして

①自分の中のプログラムに反応して感情が湧く

というのが、あると思う。

 

 

何かの出来事が起こる

⇒感情が湧く

 

と、思ってしまいがちだけど、

 

何かの出来事が起こる

⇒自分の中でその出来事に対するプログラムが反応する

⇒感情が湧く

 

 

 

例えば、

「宿題は必ず期限内に提出しなくてはならない」

というプログラムがある場合、

 

 

・どうしても、期限に間に合わすことができない

・自分以外の人が、このプログラムに沿ってない行動をとる(=宿題をやらない)

 

と、感情が湧いてくる訳だ。

 

 

もし、この

「宿題は必ず期限内に提出しなくてはならない」というプログラムがない場合、

もしくは、プログラムとしての作用が弱い場合、

 

 

同じ、

・どうしても、期限に間に合わすことができない

・自分以外の人が、このプログラムに沿ってない行動をとる(=宿題をやらない)

という出来事が起こったときに、

 

感情がそんなに湧かなかったり、

湧いたところで、ごく軽めの感情だったりする、

ということが起こる。

 

 

つまり、

起こった出来事が、感情が湧く原因なのではなく、

自分の持っているプログラムが、

感情の湧く原因である、ということ。

 

 

 

で、感情が湧くもう一つのパティーンとして考えられるのが、

②その辺にある感情につながった

というもの。

 

 

目には見えないけれども、

この世はすべて、振動でできていますでしょ?

(怪しい話になってきましたわね。)

 

で、そこらじゅうに、

他人の感情やら、過去のなにやらやら、未来のなにやら、

まで、浮遊してる。

(やだ。もっと怪しくなってきた)

 

 

で、そういうものを拾って、同期して、

感情が湧いてくるというパターン。

 

 

 

脳は、無秩序を嫌いますから、

突然、感情が湧いた、なんてことは認めたくないわけで。

(やだ。北の国からじゃない?)

 

 

 

思考を組み立て、

「あの人がああいったから、こういう感情が湧いてきたんだ」

とか、

「あんな出来事があったらから、こういう感情が湧いてきたんだ」

とか、

ストーリーを見事に作り上げるわけですな。

 

 

いままで、同じ出来事が起きても、

なんとも思わなかったのに、

急に過剰に反応してしまう。

 

とかね。

 

 

ある食べ物を食べると、過剰に反応しやすくなる、とか、

ある年代になると、特定の感情が表出してくる、とかも、

あるような気がしています。

 

あ、違う。

 

あると思います。

(やだ、天津木村じゃない?)

 

 

で、感情湧くのが、

この地球人ボディの特性だもんで、

それはそれでいいんだけど。

 

感情が悪いのでもなければ、

いいのでもない。

 

んで、

感情をなくそうと思ってもムリゲー。

(やったことないし、やろうとも思わんから知らんけど。)

(感情なくせた人いたら教えてください。「へぇ真顔」って言うから)

 

 

 

で本題。

 

感情が湧いたからといって、

そのままそれを行動に移さなくてもいいんじゃない?

 

という話。

 

 

そもそも、感情なんて、

こんなにふわふわしたものなんだぜ?

 

っていうのと

 

 

私の経験+四柱推命の先生に聞いた話を総合して考えてみて、

衰運に向かう際に、

どうも、抗いがたい感情やら思考が湧いてきて、

その感情に従って、自分をしっかりと衰運に落とし込んでいく行動をとりがち。

 

と、思ったから。

 

 

私が本格的な衰運に向かう際に、

「どうしても、仕事を辞めずにはいられない」

と思い込んでしまった。

 

とか、

 

四柱推命の先生の鑑定に来た人で、

仕事を辞めてはいけない運勢で、

説得を試みるも、

「仕事を辞める」

決意をしてしまった相談者さん。

 

とか、

 

あと、これから衰運にはいっていきそうなんだよな。。。

と、思う方が

「突然、離婚を考えはじめる」

 

とか。

 

 

抗いがたい衝動ではあるんだけど、

その大本の感情をさぐってみると、

なんとも、ふよふよ、ふわふわしたもので、

それを元に、壮大なスペクタクルのストーリーを組み立てて、

そうせずにはいられなくなる、というか、なんというか。

 

 

もちろん、仕事を辞めた方がいいパティーンも、

離婚をした方がいいパティーンも、

人生の上ではあるとは思うので、

一概に、感情に従わんほうがいんじゃね?

とも、言い切れないのだけど。

 

 

そして、衰運に向かって、

運が悪い中でも、見えてくるものもあるから、

なにが良くて、なにが悪いのか、

なんてことも言い切れはしないのだけれど。

 

 

でも、

なんか、

みんな、幸せで生きてほしいなー。

 

と、思って

別に感情に従わなくてもいいんじゃない?

ということを書いてみました。

 

 

運いいって流れに乗れてて楽しいもん。

 

 

 

でさ、自分の感情と、違う判断をしたときにさ、

「あの人がああいったから」

とか、自分以外のものに、選択権を譲渡したうえで、

そう決めたんだ、って思うと、

運が最悪にならなかったとしても、生きてて

気分よくないと思うんだよね。

 

 

あくまで、

「自分で決めた」

という感覚をもって、

諸々、決めていかないといけない。

 

 

感情に従うのも、感情に従わないのも、

自分で決めて、

生きていく強さが必要だな、と思います。

生きてく強さを重ね合わせ愛に生きましょう

(やだ、GLAY)

 

それが、自立というやつ、

なのかもしれない。

 

 

ってなわけで、

熱く語っちまったぜ。

 

 

今日は、この辺で物申す