前回、人がなぜ肉体を持って地上に降り立ち、自分が主役となって悲喜こもごものドラマを経験しながら生きる必要があるかというと、

 

「善」と「悪」を「認識」する力を獲得し、みずからの力で「善」を選び取り、アダムとイブが楽園から追放されてまで手に入れた「知識」で個我を発達発展させていくため。

 

と書きました。

 

 

個我っていうのは、実は人間が最初から持っていたものではありません。

 

神秘学(神智学・人智学)では、個我は地球進化期途上に高次存在によって人間の中に形成されたものだと説明されてます。

 

 

個我は「自由・内なる神性への原基であると同時に、自己の中に「硬化」する原因」となります。

 

つまり、「硬化」する作用と「自由」と「内なる神性」は切っても切れない関係にあるということです。

 

硬化はアーリマン存在がもたらす影響です。

 

個我意識は、物質的な肉体(アーリマン的)があってこそ成り立ちます。

 

『精神界にある高次の自己が地上の運命に霊感を与え、真の個我は人間の地上での行為を指導・指揮する傍観者である。』

 

 

『人間は自分を傍観するのであり、自分の内に生きることはない。

 

物質的個我はほんとうの個我の「影像」であり、ほんとうの個我は精神界から働きかける。

 

精神界で体験される真の個我を人間は物質界で有しているのだが、それに気づかない

 

 

 

 

『地上に死があることによって、個我意識は獲得された』

 


『物質的身体として表現される意志衝動が人間の中に生きることによって、個我意識は成立するのである。

 

地上という幻影の中で、唯一実在するものである人間の「死」に個我意識の到達は結びついている。

 

 

 

※『』内はこの本からの抜粋です。

下線及び太字は私が勝手に足したものです。

 

つづく