悪とは、「働き」であり「作用」。

 

別に「悪」という名前じゃなくても良くて、その作用の本質から言えば「相剋」と言っても構いません。

 

 

算命学で相剋は非常に重要な働きであって、意識的・現実的に人間に大きな力が加わる相剋はステップアップできる力や機会をもたらしてくれ、それが「才能」として光り輝くわけです。

 

 

 

才能は剋される干から生まれるという考え方で、もっとも多く剋される干を「光体」と呼んでいる。

 

 

 

これは追い風(相生)よりも向かい風(相剋)のほうが高く飛べるという原理に似ているかもしれません。

 

 

 

とりあえずここでは悪と呼びます。

 

で、だいじなのは悪の作用に振り回されるか、それを見極められるかということ。

 

タロットカードで言うなら運命の輪に必死でしがみついて輪の動きに振り回されてしまうのか、それとも運命の輪から手を離すことができるのか。

 

 

マルセイユ版です。

 

マーヤ(現実)に合わせて一喜一憂、右往左往するのは、車輪と一緒に上下するこの動物たちと同じ状態だということ。

 

 

この車輪から手を離すと「愚者」になります。

 

 

愚者は実は「愚かな者」ではなく、認識を得ることによって運命の輪(見かけの世界・マーヤー)から自由になった人間も表しています。

 

社会の価値観にとらわれない「傍観者」という存在になるわけです。

 


シュタイナーは「認識すること」がたいせつなのだと繰り返し繰り返し述べていますが、自由を得るというのは、取りもなおさず眠りから目覚めて自分の目を開き、まずは世界のありのまま、真の姿を認識するということから始まります。