こないだ正月と思っていたら早2月に入り、あれよあれよと時間が過ぎ去っていきます。
もう明後日、2月3日から新しい年運が有効になり、2024年も残り1日。
というわけで、2024年の年頭の自分の年運テーマ記事を1年ぶりに読んでみました。
これが私の2024年年運でした。
貫索星+天堂星。
今にして思えば、意識してませんでしたが「自分」がテーマだったんだろうなと感じますね。
いつもどおりに生きていたけど、ありたい自分を目指し続けていました。
そして文字通り、「天堂星」にも助けられっぱなしでしたm(__)m
大運の現実支合と年運の精神支合のミックスは、プロセスの精神支合を結果でも現実を支合させようとするので、よく苦しんでましたね。笑
でも、年運日支納音は現実よりも精神作用のほうが如実に現れた気がしています。
これについては青龍先生からも
散法=分離 合法=融合 これって人間ベースではピンとこなかったけど
まさに霊魂のことじゃないかと思ったら、霊魂位相法が浮かんだのです。
いずれどこかで書きますが、結論だけ言えば、
納音は人生における霊魂ワンミッションの終了ってことじゃないかと。
だから、ここで事件が起こる人は霊魂の不満の現れで、
何も起きない人は、霊魂は満足して分離できたのかなと。
というコメントをいただき、また、
納音は退気の極み(新月)で、ここから6年間をかけて比和(満月)に向かっていく時。
そういう意味での納音と考えれば、ぴったりの状況と精神状態になれたのが現在なので、結果納音の意味は成就できたのだと思えます。
昨年書いていたことに、
座下では
宿命の役割(辛・牽牛星)が仲間/異自我(乙・石門星)を激剋し、
自分の気持ち(丁・調舒星)を運勢の母(癸・玉堂星)が激剋し、
それを愛情奉仕(戊・禄存星)がのりしろになってつないでいる。
今年のサブテーマは「母親」のような気がしますねえ・・・・。
天堂星(老人)だし。
というのもありました。
調舒星を母が激剋、ありましたねえ!
もうね、大変でした。
日常生活ではまったく認知の面で問題ない母ですが、
スマホやネット社会の中では完全に認知不全。
取り上げてしまうのも人権を考えてだいぶ我慢していましたが、ついに思い切って昨年5月ころに母のスマホを解約。
簡単なメール機能だけついた携帯電話を持ってもらうことにしました。
それでも諦めきれない暴走する二中殺。
ここには書きませんが、いろんなことがありました(遠い目)
今でもまだその余韻は続いていますが、私の気持ちを母が激剋したのはほんとにその通りでしたね。
気の相性相剋作用、恐るべしです(-_-;)
まあ、過ぎてしまえば玉堂星は母だけではなく、導き・学びだった点もほんとうに多くて、運勢ありがとうという心持ちです。
そう言えば、さっき昨年の年運記事を読み返して思い出したけど、「これから読んでる本をご紹介します」などと書きながらすぐに忘れてしまったという・・・。
三日坊主は得意中の得意なのでした。
2025年の予想はまた次回に。