塾仲間で座談会のような勉強会をやっています。

 

 

いつも学びを得ることがとても多いのですが、

 

それって、お互いにまったく違う宿命を持っているからなんだろうなと感じています。

 

 

 

まったく違うと言ってももちろん青龍塾という

 

確固とした基軸となる共通点があるからこそ

 

精神的なつながりが持ててると思うのですが、

 

そもそも何億という人がいる世界の中にあって、

 

つながるということだけでも縁が深い。

 

 

 

不思議と、志向のベクトルというか、

 

自分の果たすべき課題がお互いに真反対だったり、

 

それが、生き方や仕事環境にも象徴的に現れていて、

 

とてもおもしろいんですよね。

 

 

 

自分とは真反対の要素を持つ相手がいることで、

 

より自分自身を鮮明に認識できる、そういう感じがあります。

 

 

 

真反対。

 

西洋占星術でいうところのオポジション(180度)。

 

西洋占星術のドラゴンテイル(既にできること)と

 

ドラゴンヘッド(目指すべきこと)も必ず真反対の位置にあります。

 

 

 

ドラゴンテイルを乗り越えて、

 

ドラゴンヘッドへと進んでいく、というイメージ。

 

つまり、どちらも自分の中に内蔵されているわけです。

 

 

 

 

十二大従星の「質」の真反対は一般的に「陰転」と呼ばれますね。

 

 

 

例えば、天将星(現実・極まる最大具現化パワー)

天報星(精神・バランス最上!偏っちゃアウトパワー)。

 

 

天南星(現実・中途半端に止まれない猛進パワー)

天庫星(精神・私のことはほっといて!深堀りパワー)

 

 

天恍星(現実・どこまでも羽ばたく憧れパワー)

天極星(精神・純粋霊魂が息を吹き返すパワー)

 

 

 

 

青龍塾では陰転というネガティブなものではなく、

 

内蔵されている真逆パワーは自分を支えてくれるものと捉えます。

 

 

 

従星の反転は、陰転という形でマイナスに扱われていますが、実際は、窮地の救いであったり、別のエネルギーとして使うことで、生きる世界を豊かに広げることもできます。

例えば、極まって強くなる天将星が行き過ぎた時、反転する天報星で、見事にバランスをとって立て直すことができます。

自分で現実を作れない天馳星は現実を作る必要に迫られたら(たとえば家庭を持つ)天禄星を使って、部分的にはこなすことができます。

挫折に弱い天南星は、倒れこんだら自分の世界に引きこもって(天庫星で)時を待ちます。

浮かれやすい天恍星は結婚したら、天極星を使って環境に従う転身が可能です。

天極星が環境に縛られて苦しくなったら、天恍星のここではないどこかへ(遊びや夢の世界へ)と、逃げ出すことができます。

嫌われ者の頑固爺さん(天堂星)は、時々愛らしい赤子に変身して、イメージを払拭します。

こうした考え方をすると、対冲がなくても、逆のエネルギーを使っていることに気が付くと思います。

 

 

 

私にとっては陰転よりも、こっちの考え方のほうがすんなり受け入れられます。

 

 

現在、必要に迫られて十二大従星の解釈を紡ぎ直す作業を始めようとしていますが、

 

龍高星はないけど必要な検証を怠らず、

 

司禄星もないけどコツコツと、

 

大半会らしく、異種融合的に「わかりやすく噛み砕いて」

 

真反対の概念も含めて伝えていくことが出来たら良いなと思っています。