昨年はほんとに自分だけでは「ボチボチ」の機運でした。

 

自分だけでは、というのは、なにかやるべきことがあれば一生懸命動いたけど、

 

自分から進んでなにかにとことん取り組もうという気持ちが、なかなか湧いてこなかったんですよね。

 

 

 

で、気グラフを見てみると

 

 

こんな感じ。

 

黄色(車騎星牽牛星)も茶色(司禄星禄存星)も、赤(調舒星鳳閣星)もぜーんぶ下がっています。

 

前進力も、自分の気持ちを出していこうとする力も薄い。

 

そんな中、自分(緑)だけが高い。

 

 

私の自我は怠け者なので、何かなければ、何もしないのですね。

 

 

 

以前の気グラフを見返しても車騎星牽牛星が高かったり、禄存星司禄星が高かったり、

 

つまり現実色が強い時はもう馬車馬のように仕事やなんやらに取り組んでました。

 

ヤル気満々。

 

 

 

 

自堕落な自我が、やるべきこと以外には気が向かわなかったのに、

 

前回書いたように、昨年の12月暮れから

 

「今だぞ」というお告げがあって、

 

少しずつ動き出しました。

 

 

 

 

 

これがその日。

 

全然意識してなくても、やっぱり半会が並んでいましたね。

 

 

 

だからといって、いきなりアクティブになったわけではなく、

 

相変わらずボチボチではあったんですが、

 

昨日、いきなり「今日働きかけるべし」というのがピキーンと降りてきて、

 

 

 

これに着手する日が来たなと思いました。

 

仲間を取り込んでいく日です。

 

 

 

そういう昨日の日運は?

 

昨日から月運が切り替わり、

 

 

乙丑、石門星&天南星、さらに月年は大半会。

 

日運は年比和と心半会。

 

 

 

自分を素にしていると、必ず降りてくる示唆。

 

これがほんとに運勢とぴったり合ってておもしろいんです。

 

 

 

昨日の司禄星での外部への働きかけからさっそく動きがあって、

 

来週から、温めていたプロジェクトが現実に動き出すことに。

 

 

1月の月運⬇

 

 

自分の気持ちを通そうとジタバタするのが一番のご法度。

 

 

現在の大運の中央と東の稼働を見てみると⬇

 

 

これですよね。

 

「愛を持って生きる」

 

 

現実面ではほんっとにボチボチでしたが、

 

先月からすごく精神世界に引っぱる力があって

 

ここしばらくは、もう15年前くらいにちょっとだけ触れていた、

 

いわゆるスピリチュアルな世界にかなり傾倒していました。

 

 

 

そこから、やっぱりキリスト教に導かれていって、

 

そうなるともう「愛」なんですよね。

 

 

シュタイナーもなにもかもが、一点に向かわせていて、

 

それが「愛」。

 

 

20代の原点に戻ってきたんだなと、しみじみする1月の節入り日前後です。