ちょっと前になりますが、
この本の後半3分の1くらいのところから始まる、
「霊的観点から見た宇宙の進化」
から、「土星紀」について、信じられないほどかいつまんで書いてみました。
現在の私達が生きている世界は、この土星紀から始まったとシュタイナーは言います。
土星紀に、ある壮大なできごとがあって、そこから熱が生まれ、
さらに、時間もこの土星紀に生まれました。
私達は熱が発することになんら不思議を感じませんが、今日(こんにち)でも熱が発生する背景には、目に見えぬ霊的な背景が存在します。
土星紀が終わると、一度未明の闇に沈み、それから太陽紀が始まります。
土星紀に起こったことが、太陽紀に影響を与えます。
太陽紀において、宇宙の中に「秩序」が生まれます。
太陽紀で、光と空気が生まれます。
光と空気の背後にも霊的な事象があります。
太陽紀には「贈り与える徳性」が存在します。
(なぜこれが起こったのかもちゃんとシュタイナーは説明していますが、省きます)
これは土星紀で「時間」が生まれたことによって「贈り与える」ことが可能になったのです。
「贈与」というのはまず「与える」行為、それから次に「受け取る」行為で成り立ちます。
時間のないところでは「贈り与える」ということはできません。
ただ、太陽紀では「贈与」と「授与」は、特別のやりかたで対峙していました。
太陽紀に差し出された贈り物は、「時間」の中に保管されました。
この贈り物を受け取る「存在」がやがて登場します。
これが、いったいどういうことなのか、私達のことになぞらえて考えてみます。
なにかを理解しようとして、なんらかの思考を形作ろうと努力しているところを思い浮かべてみてください。
次の日になって、この思考を思い出します。
前日に形作られた思考が、自分の中に帰ってくるのです。
昨日形成されたものが、今日受け取られるのです。
このように、太陽紀において、「かつて与えられたものがある期間保管され、後になって受け取られる」ということが起きたのです。
この「受け取り方」は、特別なものでした。
受け取った「存在」は、この贈り物をじぶんのために保存するわけではなく、鏡のように、贈り物を「反射」するのです。
太陽紀において、与えられたものが、ある期間の後に受け取られるのですが、それは
「かつてあったものを反射する」
という形で行われるようになったのです。
今日も、またもや超かいつまんで書きました。
ここのところ、ものすごく重要なところです。
私達の人生において、時間をおいて螺旋のようになんども繰り返し現れる「テーマ」や「課題」。
また、行ったことがカルマとして再びじぶんに戻ってくる。
歴史が形を変えて、繰り返される。
その現象は、この太陽紀に始まったことなのです。