青龍塾で学んでいると、ものすごいスピードで情報が流れ込んできます。

 

超人的な量を、出力(調舒星鳳閣星)なしの先生が毎日出力されていて、正直消化どころか読むのも追いつきません。笑

 

 

でも、なにかきっかけがあれば先生が書かれていたこととつながって、形而上学的な文字群が一気に「生きた言葉」に様変わりします。

 

塾仲間のJinkoさんが提示してくれた題材を考える中で、先生が分身律を思い出させてくださって、そういえば以前それについて読んだことを思い出しました。

(キャパが狭くて自分の中できちんと整理されてない証左)

 

 

それで、算命学研究室の記事内で「分身律」で検索をかけてみました。

 

その核となるであろう言葉。

 

 

『本来、神様の分野である人間関係の「縁」の謎に近づこうとするものであります』

 

 

 

神様の分野って、現在の人間の守備範囲外って思うといいのかな。

 

言ってみれば、ひとの伺い知れない「カルマ」なのかもしれません。

 

 

余談ですが、「カルマ論」こそがシュタイナーがその人生で取り組み、人々に伝えるべきテーマだったんですよね。

 

もともと「人智学」はシュタイナーじゃない人がやるべき課題だったんだけど、そのひとがちゃんと責務を果たさなかったためにシュタイナーがやらなきゃいけなくなって、そのためにシュタイナーはかなり時間を削られてしまったらしい。

 

 

 

 

話を戻します。

 

親の作った人生の善悪が「子供」という別な存在を借りて自分に戻ってくるというところ。これが分身律のもっともいいたいことです。

 

こうした分身律の法則が後の次元の世界で、重要な役割を果たすことになります。

 

 

これ、母方の祖母と母と私で考えてみます。

もしかしたら的外れかもしれませんが。

 

 

うちの母は事あるごとに祖母の悪口を言っていました。

 

でもその中のいくつかは、私に言わせれば、特大ブーメランなんですよね。

 

「それ、私に対してあなたがやってることじゃん」っていう。

 

 

 

たとえば母は東京の音大に行って指揮者になりたかった。

 

そのために修学旅行の費用を浮かせて受験に使ってほしかったので、我慢して修学旅行に行かなかった(このあたり、母からしか聞いてないので経緯は怪しい)。

 

しかし、兄弟が多く、母が出ていくと困るので結局受験にも行かせてもらえなかった、というのが 母談。

 

 

 

それなのに、母がこれまた事あるごとに私に言っていたセリフが

 

「女の子は一度外に出したら帰ってこないから、外に出しちゃダメよって◯◯さんが言ってたのよね。だからお母さんはあんたを外に出したくなかった」

 

 

すごいな〜笑

 

正直頭悪いんじゃない?と思うんですが、母の世界ではこういう二律背反は日常茶飯事。

 

自分がわからない生年生月中殺のなせる技?

 

 

いやいや、そうじゃないでしょう。

 

そうはならない生年生月中殺だってたくさんいます。

 

反対に、中殺を持ってなくてもこういう考え方をする人もたくさんいます。

 

 

まあ母の場合は中殺の影響もあるのかもしれませんが・・・・。

 

長くなるので続きます。