昔からの友人知人はよく知ってるのですが、私はもうずっと前から
「田舎にみんなが集まれる場所が欲しい」
「自分の場が欲しい」
と言い続けてきました。
それはお盆に子どもたちが集まって提灯の明かりの中で花火をしたりする、郷愁あふれる場所であったり、猫が自由に庭を散策できたり、昔ながらの知恵を脈々と受け継ぐ暮らしだったり。
しばらくは、自分の場であればそんな大規模な土地じゃなくて小料理屋でもいいかな・・・料理好きだし、なんて妄想していた時期も。
こんな感じの。「深夜食堂」のカウンター。
画像はpinterestからお借りしました。
でも、日常に紛れて、夢はずっと夢のまま。
算命学に出会って自分の宿命と向き合わなかったら、一歩を踏み出せず実現しないまま終わったかもしれません。
つくづく感じるのは、陰占の複雑なエネルギーの流れが自分の内外に存在していて、自分がどうしようとその流れは常に肉体がこの世から消え去るまで法則に沿って動き続けている。
そこになにを乗せていくのか、その望みはやっぱり自分自身がちゃんと知っているんでしょうね。
先日、この新しい土地で知り合った人がいました。
以前この家がシェアハウスだった時に住んでいて今はご近所に引っ越した男性で、自己紹介がてらいろいろ話していて算命学の話になりました。
彼から、宿命を知ることは自分を縛ってしまうことになるんじゃないのかな?と聞かれ、私はまったくその逆だと答えました。
私は自分の宿命を知ったからこそ、この土地を手に入れて長年の夢を現実にすることができたんだと。
私に与えられた宿命のエネルギーの流れに乗ったから、この新しい扉を開けられたんですよね。
これも先日、算命学の勉強会の時に、私がいつも「神」と呼んでいる存在について尋ねられました。
その時はうまく説明できなかったんですが「大いなる意志」という名前を以前つけていたことを後で思い出しました。
その大いなる意志がエネルギーを生み出し、目に見えるもの見えないものの法則を創り出している。
私たちが意志を持ってなにかを求めて生きているのは、その根源である「大いなる意志」と同一だから。
おっと、話がそれてしまった。
そのエネルギーの流れの法則を知り、そこに自分の意志を乗せていく。
それって、あの陰占を自分が使ってコントロールしていこうとすることだろうなと。
塾仲間のJinkoさんが日々実行していることが「日運」実験ならば、私は「陰占」実験をやっているんじゃないかな。
陽占ではなく、陰占。
自分の意志とは関係ないエネルギーの流れの癖を知って使っていくこと。