2016年、NHKの「100分de名著」で紹介された、社会人類学者/民俗学者クロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」。

 

 

 

 

1960年台にフランスにおいて支持され、世界的にも広がった「構造主義思想」ブームの火付け役です。

 

 

 

NHKで取り上げられた当時、私は彼の名前も知りませんでした。

 

 

 

 

先住民との交流を重ねたレヴィ=ストロースは彼らの文化は遅れたものではなく豊かな人間性を備えていると感じ…一方欧米社会では「歴史」という普遍的な概念の中だけで「進歩」や「発展」を遂げてきました。

 

しかしその思考は限界に突き当たると分析。
未開社会にある「構造」という原理こそ、近代の問題を打開する糸口だと考えたのです。

 

「構造」とは一体どういうものなのでしょうか?

第二次世界大戦中レヴィ=ストロースはフランス人兵士として戦場に赴きます。

 

ある日塹壕に入ってぼ〜っと景色を見ていたところ、タンポポの花に目が留まります。
そして美しい秩序を持ったタンポポの花を見つめるうちに「構造」の考えを思いついたのです。

 

宇宙の運動の中から地球が生まれ、地球に生命が発生し脳が作られ、そこに精神が現れます。
自然界の中から生み出された生命に現れる精神の構造と自然の構造。

 

レヴィ=ストロースはどちらも同じ「構造」を持つと捉えます。
そして人間の精神を「構造」という視点で科学的に分析したのです。

(100分de名著書き起こしから抜粋)

 

 

 

 

 
今日は一点だけ、レヴィ=ストロース氏の宿命の半分以上を占める後剋、その中でも「日干火性の牽牛星」について。
 

貫索星・石門星ゼロの自我薄。

既にほぼ空っぽの自我に強大な使命(牽牛星・車騎星)が入り込んできます。

 

この「使命」とは?

 

 

牽牛星のベースにある主観的「自分流」は、混沌とした火性にあってその性質がより強く出ます。

 

『たしかに大義名分があり、自尊心があるのですが、神言暗示がいわんとしているものは、弱者が強者に対して行う微力の集結、微力なる反体制エネルギーとなる可能性をもっているといっているのです』

 

『つきつめれ民族的な集団攻撃なのだといっているのであります』

 

 

 

NHKの100分de名著(全4回)ではあまり触れられなかったようなのですが、実はこの「野生の思考」には「オマケ」があります。

 

 

 

レヴィ・ストロースは一体何を書いたのか。

 

そのオマケ部分とは、早い話が「西洋文明全体への批判」でした。

 

南米の原住民らと寝食を共にし過ごした学者レヴィ・ストロースはその原始民族の文化を理解し、彼らに変わって…ヨーロッパ文明そのものを批判したのです。論争を挑んだのです。

 

その批判というのは決して空回りしたものではなく、具体的に矛先が向けられていました。

 

当時の西洋インテリ界の頂点に立っていたジャン・ポール・サルトルに対して向けられました。

 

(中略)

 

しかし、そのヨーロッパのNo.1だったサルトルはレヴィ・ストロースが持ち出してきたこの未開文明(無文字文明)からの問いかけに対して、ほとんど何ら反論することができず、論争の勝敗という面ではコテンパンに負けました。

 

サルトルはたった数年で社会党のビラ撒き係にまで転落させられてしまったのです。

(koko書房note↑)より抜粋

 

 

レヴィ=ストロースが使命を持って挑んだのは、サルトルという時代的アイコンに代表される強大な「ヨーロッパ民族(文明)」であり、レヴィ自身は「無文字文明を持つ民族」という「圧倒的マイノリティ」の代弁者となったわけです。

 

火性牽牛星のキーワード「民族・庶民」

 

弱者が強者に対して行う微力の集結、微力なる反体制エネルギーとなる可能性

民族的な集団攻撃

 

神様が火性牽牛星に与えた最高の働きを成し遂げたのが、このレヴィ=ストロースだったと思えます。

 

 

 

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。

制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理解すべく私が自分の人生を過ごして来たものは、一つの創造の束の間の開花であり、それらのものは、この創造との関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能にするという意味を除いては、恐らく何の意味ももってはいない。

(中略)

人間の精神が創り出したものについて言えば、それらの意味は、人間精神との関わりにおいてしか存在せず、従って人間の精神が姿を消すと同時に無秩序のうちに溶け込んでしまうであろう。

(「悲しき熱帯」より レヴィ=ストロース著)