週末はフジロックをちょっとだけ観ました。
SIRUP、忌野清志郎カバー、友人がファンクラブに入っている電気グルーヴ、そしていちばんの目玉は上原ひろみザ・ピアノ・クインテット。
上原ひろみさん、いつもながら圧倒される演奏。ほんとうにすばらしかったです。
クインテットメンバーの2人のイケメンバイオリニスト、美人のヴィオリスト、貫禄あるチェリストも最高でした。
上原ひろみさんのように、はっきりと「なにかを極めるため」に生まれてきてるよね、とわかる人っていますよね。
なにか、わかりやすく突出したものを持ってたり、まっすぐ(あるいは寄り道しても)なんらかの専門分野に進んでいく人。
音楽や絵画などの芸術的な表現活動だったり、いろんな研究分野だったり、将棋だったり、山に登らずにはいられなかったり、垂直の岩壁を登らずにはいられなかったり(チョイスが偏ってる笑)
登山家とかクライマーとか極限に挑戦する人の話が好きなもので・・・。
上原ひろみさんとよく一緒に演奏をしている矢野顕子さんもそう。
なんつっても「ピアノが愛した女」です。
中学時代からファンで、何度もコンサートに行きました。
こういう人たちって絶対、「今生はこれやります」って決めて来てるよなって感じるんです。
でもほんとうに人は宿命を決めて生まれてくるのか、それとも違うのか・・・・。
もし、自分で宿命を決めて生まれてこれるのなら、彼女たちはきっと自分の思うがままにピアノを操れる宿命を選んできただろうと思います。
そう思い立って、このふたりの、ピアノに愛された女たちの宿命を観てみました。
やっぱり、主星調舒星、ですよね。
上原さんは、日月年すべての支に調舒星がありました。
矢野さんは日月。
ふたりとも入力(玉堂星龍高星)なし。
コントロールされない、自由な調舒星です。
興味深いのは、ふたりに共通しているのは司禄星調舒星の二連が中殺されていること(陰占)。上原さんは、表(陽占図)には出てきませんが、ふたり共通の年支未の中では中殺を受けています。
彼女たちの持つ感性がピアノという媒体を使って、常識や制限のない中で自由に現実を創っていく。
ここに枠を取っ払う中殺があるのは必須なのでしょうね。
そしてそこに牽牛星(使命)が寄り添っています。
やはり、この宿命あっての「ピアノに愛される」ということなんだろうと思えます。
でもそれは「自分で」決めたのか・・・それはわからないですね。
フジロックの上原さんの演奏を聴きながら、「天胡星」があるのかな?とふと思ったんですよね。
音楽といえば天胡星かなって。
しかし、ふたりとも無限大の調舒星で創り上げている音楽でした。
これは彼女たち独特の表現スタイルのために必要なのかもしれません。
先日、塾仲間の盤古さんのコメント欄に師匠がこう説明してくださってました。
算命学では人間を肉体と霊魂の二つに分けて考えていて、霊魂は『数種の異なった諸々の気が、肉体という場所を得て、その中に集まり融合している』と定義されています(異気集合論)
『異気集合論は諸々の気が入り込むというよりも、人間の肉体そのものに、ある種の引力や磁力のようなものがあって、目に見えない空間の気をひき寄せるのだ』と説かれています。
算命学では明確に輪廻転生的なことは語られていないのですが、この「引力」が引き寄せる気の中に、輪廻すべき気が含まれていて、それが月支に宿るのではと推測しています。
魂が「気の集合体」でできているのなら、今生の課題をやり遂げるためにいちばん適切な、よりすぐりの「気」を選んで来てる?
彼女たちだったらピアノを、より自由に操って、自分の思いを完璧に音に昇華できるように。
じゃあそれは自分で決めてきたのか??