算命学で、大運は10年ごとに切り替わります。
初旬に入る年齢は人それぞれですが(1才から始まる人もいれば7才から始まる人も)、そこから10年ごとに星とエネルギーが順番に巡ってくるのは全員共通。
星がめぐることによって、自分が持って生まれた宿命(初期設定)に、10年ごとに運勢から初期設定への補完計画が行われたり、それまで持っていなかった新たなアイテム(人も含め)や武器を与えられたり、あるいは新たなステージへの移行が行われます。
(更に、どの十二大従星エネルギーがそれと一緒に巡るかでも変わってきますが、ここでは十大主星だけを考えています。)
一年ごとの年運の影響ももちろんあるのですが、5つの大運を過ごしてきてみると、その威力と影響たるや、ものすごいものだと感心するやら畏怖を感じるやら・・・・。
先日書いた記事で、自分が持ってない司禄星(干合)について書きました。
(司禄星か干合の影響かは微妙なところではありますが)
自分の宿命に持っている星については、ああこんな働きなんだな、と自分を見本にして理解できます。
しかし、自分が持ってないものに対してはなじみがありませんし、大運で使い慣れないアイテムを手にした時、その使い方がわからず、四苦八苦してしまうこともある気がします。
私が初期設定で持ってきたのは
石門星・調舒星・鳳閣星・禄存星・車騎星・牽牛星。
持ってないのは
貫索星・司禄星・玉堂星・龍高星。
大運1旬目 鳳閣星(持ってる)
大運2旬目 調舒星(持ってる)
大運3旬目 禄存星(持ってる)
大運4旬目 司禄星(NEW!)
大運5旬目 車騎星(持ってる)
大運6旬目 牽牛星(持ってる)
大運7旬目 龍高星(NEW!)
大運8旬目 玉堂星(NEW!)
大運9旬目 貫索星(NEW!)
大運に巡る星を眺めていると、それだけでもなんとなく人生の流れが見えてきます。
また、自分が持ってない星がわりと人生前半に与えられているか、それとも後半に集中するか、そこにも大きな意味や思惑が隠されていそう。
前者は人生を作り上げていくにあたって「補完」される意味合いが大きく、後者は「あなたの今回の人生にそれがないほうがいいから、ずっとあとの方にしといたからね」と言われている感じ。
私の持たない玉堂星・龍高星・貫索星がいつ来るかを見ると、ほんとうに私には縁遠いというか笑、人生において二の次という感じがします。
それか、十分準備をして満を持して臨めということか…。
この、自分がもともと持っている星を通星、持ってない星を断星と言いますね。
通星、断星とは、大運の運勢星が、宿命にある星(蔵干も含める)かない星かの違い。通星=宿命にある星→「がっちりと受け止めることができる。人任せにしない」
断星=宿命にない星→「取りこぼしが多い。受け身自然体」
通星の「がっちりと受け止める、人任せにしない」という感覚、そして断星の「取りこぼしが多い、受け身」というのもその渦中にいる時はぜんぜん意識してないんですが、今はよくわかります。
「取りこぼし」、これ、後からとりこぼしてしまった(かもしれない)ものに気がつくんですよね。
もし、断星が来る前に算命学を知ってたら気持ちの準備ができたかもしれないけど、そんなところに自分がいるなんて考えもしないから普通どおりのつもりで過ごす、けどなんか今までの自分とは違う・・・・。
断星の扱い、つくづく難しいな・・・と実感しています。
じゃあ、どうやったら取りこぼさずにすむのか??
今は算命学を知っているし、自分の大運のテーマを意識して生きることができるので、おそらく10年後にやってくる断星、龍高星はきっと取りこぼしをなるべくしないような生き方ができるんじゃないか、とは考えていますが…どうだろ?