それは今から10年程前。
私がまだ藤沢市に住んでいた時の話である。
当時、私は藤沢駅から徒歩20分ほどの所にある会社の寮に住んでいた。
寮から駅へは市役所の敷地内を通る近道があり、そのルートで行くと5分ほど短縮されて15分ほどで行けた。
そしてその近道の途中には小さい公園があり、そこには人懐っこいノラ猫が住んでいた。
薄茶色の雑種で、落ち着いた雰囲気があり、結構な歳に思えた。
天気の良い日は決まって公園に入り口で日向ぼっこをし、通勤通学途中の人達に挨拶されたり、撫でられたりしていた。
私もそこを通る時、片手を挙げて
「よお」
と言う。
そうすると、
「ニャー」
と返してくる。
なんとも出来た猫だった。
帰宅する時には、よく色々な人にネコ缶を貰っていたり、膝の上に座って撫でて貰ったりしているのを見掛けたものだ。
人も猫も人懐っこいと多くの人に愛されるものなのだ。
市役所の敷地内にはあちらこちらに
『ノラ猫に餌を与えないでください』
という貼紙がしてあったが、ノラ猫のいる町は良い町だと個人的には思う。
その年の冬はとても寒かった記憶がある。
金曜の夜から雪が降り始め、土曜の朝にはこの地域にしては珍しく、かなりの雪が積もっていた。
何年かぶりの積雪である。
その日の午後は書道教室に行く予定であった。
当時、師匠の教室は湘南工科大学の近くの古民家にあり、藤沢駅からバスと徒歩で40分ぐらい掛かった。
雪のため、バスも遅れるだろうと予想し、かなり早足に駅へと急いでいた。
そしてその公園の側と通り掛かった時、いつものように……でもいつもと違うそのネコと出逢った。
そのネコは薄茶色の毛に埃の様な雪を纏わり着かせ、車に轢かれそうになりながら車道を渡って、私の方に歩み寄って来た。
そして私の足元に来ると、私を見上げ、
「ニャー……」
と弱々しく鳴いた。
いやでもしかし。
僕は寮住まいだし、連れて行く訳にいかないし、いつも他に世話してくれる人がいるんじゃ……?
私は色々と自分に言い訳をしながら、逃げるようにその場を立ち去った。
2006年 1月 師匠の教室にて
その日から暫くの間、その道を通るのをやめた。
助けを求められたのに、逃げた事が後ろめたくて仕方がなかったのだ。
後になって発泡スチロールでネコホイホイを作って持って来る事ぐらい出来ただろう、と悔やまれて仕方がなかった。
※注:ネコホイホイ
そして梅が散り、桜が咲き、暖かくなった頃、またその道を使うようになったが、もうそのネコに出逢う事は二度となかった。
私とは違う心優しい誰かに保護され、暖かい家の中で飼われているのか……、もしくはあのまま凍え死んでしまったのか……。
雪が降るたびにあの縋るような姿と声を思い出す。
どうか前者であって欲しいと願う、私の冷たい記憶である。
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ふたばの星 書道教室 (所在地:神奈川県平塚市)
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