自死した大切な家族は、
自分に、どれだけお金を積んでも買えない、
どこに行っても手にすることのできない、
「最強のカード」という、かけがえのないギフトを残していってくれた。
最強のカード。
現世界で、たった一度だけ使える最強のカード。
トランプで言うところの「ジョーカー」みたいなものだろうか。
それを自分に与えてくれた。最強のギフト。
それは、『いつでもそっちに行ける』という切り札のカード。
本音を言えば、何なら、今すぐにでもそのカードを切ってそっちに行きたいのだけれども。
でも、なかなかそうはいかないんだわ。
…
残された者はこれだけ嘆き悲しみ苦しんでいるんだよ?
わかってる?
いや、あなたを責めるつもりは全くないよ。
むしろ真逆で、毎日、あなたをそっちに行かせてしまった自責の念に駆られて、心臓にガラス片を突き刺されるくらい苦しいよ。
できることなら、自分も、今すぐにでもそっちに行きたいよ。
でも、そういうことだったんだね。
…
大切なあなたが与えてくれた「最強のカード」。
「死が怖くないのか?」と聞かれれば、…そりゃ怖いよ。
それは人間というより、生物としての本能だから仕方ない。
DNAにインプットされてるからね。
でも、あなたのせいでと言うべきか、あなたのおかげでと言うべきか、「死」は最大の楽しみでもある。
だって、死ねば答えがわかるのだから。
そして大切なあなたに会える可能性が、答えが、少なくとも、今、この世界で生きているよりも高いのだから。
それが最強のカード。
さぁ、このカードをいつ使おう。
今日使う?明日使う?
…
でもね、
トランプと同じ。
最強のカードは、「いつでも使える」半面、
「ここぞという時」まで使えないものなのだ。
いつでも使える最強のカード。
いつでも使えるからこそ、いつでも使えない、使わない。
この二律背反している感情は、一見矛盾しているようで、しっかりと両立しているんだよね。
あなたが与えてくれた「最強のカード」。
自分の残された人生において、このカードを使うことがあるのか、無いのか、それは自分でもわからない。
でも、
「いつでも使える」という、最高のカードを、ギフトを、安心感を、あなたは与えてくれた。
「ここぞという時」が、自分の残された人生において、訪れるのか、訪れないのか、それがどういう時なのか、果たしてそれが自分で見極められるのか、それは自分でもわからない。
でも、「いつでもそっちに行ける」という「最強のカード」を持っている、この安心感。
それをあなたは与えてくれた。
恐れるものなど何も無い。
ありがとう。
有り難う。
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『そこにたどりつこうとあせってはいけない。
「そこ」など、どこにもないのだから。
本当にあるのは「ここ」だけ。
今という時にとどまれ。
体験をいつくしめ。
一瞬一瞬の不思議に集中せよ。
それは美しい風景の中を旅するようなもの。
日没ばかり求めていては
夜明けを見逃す。』
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