なんていいますかその。
数年前から、いわゆる温暖化対策は、疑問視しておりました。
温暖化すると悪いことがあるよと脅し、でも、こういうことをすれば(止めれば)温暖化は食い止められるますよ、とするのが、国であったり、企業であったりして、で、その分、ペットボトルが燃やせなくなったり、ゴミ袋が有料になったりして、民間人の負担が増えてしまいました。
でも、国が言っているから、役場が言っているから、公共放送であるNHKが言っているから・・・そんな理由で温暖化を信じ、それらの機関が推薦している方針に沿って、私たちはある種の努力をしてきたのです。
そして、その方針に沿い、そしてまた『地球のために』役に立とう、とばかりに、マイ箸運動やマイ水筒運動など、自分にできることだけをやって、悦に浸る人が出てきました。
さらにその人たちの中には、自身のブログやホームページを作り、私は今日これだけのことをやりました、と宣伝するようになりました。
さらにそんな中には、そうしていない人たちを非難する言動を吐くようになった人もいますし、他人のブログにコメントを残してわざわざ非難したりする輩もいました。
そういった人たちが、私の、温暖化疑問視をより、増徴させているのです。
いい事をしているはずの人たちなのに、どうして、そうでない人たちを非難するのでしょうか。
イヤになります。
そしてまた、嫌がらせをしないまでも、そういった宣伝をしている人たちに、違和感といいますか、どうしてもひっかるモノを感じていたのですが、最近その理由が判明しました。
知り合いに、キリスト教の神父様がいます。
私はキリスト教徒ではありませんが、とある講座の講師として招かれた神父様と知り合えたのです。
その神父様いわく、キリスト教に限った話ではない、としたうえでですが、こんな教義があると仰ったのです。
『良いことは、他人にわからないように、実行せよ』
この言葉に、先のブログの件が引っ掛かったのです。これが、違和感の原因でした。
地球に優しいとかいう、本来の意味で良いことをしている自分を、他人に宣伝する、という行為は、そのことがあまりよろしいことではないではないか、と思ったのです。
そうですね、美しくないのです。
能ある鷹は爪を隠す
無言実行
古来の日本からも、そういった美しさを表現する言葉があるのです。
こういうことが、道徳だよ。こういうときは、そうしたらいいんじゃないかな?
と、教えることはいいことだと思います。
しかし、僕は今日こんな良いことをした、とブログやHPで言うのは、いかがなものか、と思う次第であります。
以前私も、そういったことを記事にしたことがあったかもしれませんが、そのことを知った今、恥ずかしい限りです。
今後の記事には、気をつけます(笑)
いい事と思った事はコソコソして、しましょう。
今日はここまで。