教員日誌 -8ページ目

教員日誌

中学校教員、日々の実践の振り返り、反省、諸々
自分が振り返るための実践記録ですが、ご意見いただけたら嬉しいなぁ

生徒を指導するにも、いい指導とよくない指導があります。


今の学校に来て、私がすごいと思う学級指導をする担任の先生に出会いました。


その先生から頂いた資料に、三つの指導について書かれていました。

なるほどと思ったので紹介したいと思います。


指導の三つの種類


一つ目は

対処的指導です。

起こってしまった問題行動について指導する場面です。

誰かを殴ったとか、不要物を持ってきたこととかについて指導することです。


二つ目は

予防的指導です。

守らなければいけない規則や、その意味について説明したり

生徒が躓きそうな内容を予測して指導する方法です。

情報モラルの指導や、薬物乱用防止の指導、校則のガイダンス、行事参加前の注意

などはこれに当たります。


三つ目は

開発的指導です。

日記や学級通信、学級イベントなどを通して、生徒が自らの判断で向上する機会を多く持ち

自分の生活の仕方を自分で高めることができるような手立てを講じることです。

学級の目標を決めたり、班や係で学級のための活動を考えたり、委員会などの活動を具体化するなどの活動です。


冒頭に「いい指導」「よくない指導」と書いたのですが、実際はどの指導も必要になってくることです。


ただ、自分が考えなくてはいけないなと思ったことは、対処的な指導に偏ってはいないかということでした。

やってしまったことを追いかけて、それを指導することに終始していないかということです。

もちろん、教員ですから、二つ目の予防的な指導(俗に先取り指導などとも言われます)は意識してきたつもりです。

たとえば、朝の学級活動で目標を示し、それができたかどうかを放課後の学級活動で評価する

みたいなことはやってきました。

ただ、対処的指導も予防的指導も、本質的には教師がコントロールする指導からは抜け出しにくいです。

今の学校に来て、三つ目の開発的な指導という視点を持つようになりました。


子どもを指導するとき、最も短時間で準備なくできるのは対処的な指導です。

予防的な指導は事前に言わなければいけないので、ある程度先を見据えて指導を入れなければいけません。

開発的な指導は少なくとも月単位での見通しを持たなければできないことです。


指導をする側の人間が先を見ていないと、対処的な指導ばかりになってしまいます。

先にも話しましたが、対処的な指導も必要です。しかし、それに偏っていては、生徒の本当の成長にはつながらないです。


教育だとわかりづらいので、ちょっと違うかもしれませんが、病気を例に考えてみると


病気になってから、その病気の薬を使ったり、手術など、治療を行うのが対処的な対応です。


かかりそうな病気を予測して、予防注射などの措置をあらかじめ取っておくのが、予防的な対応です。


病気にかかりにくい、健康的な生活を送れる知識や方法を身に着けることが開発的な対応です。


どれも必要な措置ですが、病気になった後、薬ばかりを使われていたら、体の方だっておかしくなってきますよね。

ましてや成長途中の人間の心ですから、山ほどの危機を迎えています。

そのたびに薬を入れられる心は、それだけでおかしくなってしまうかもしれません。


理想論かもしれませんが、教育に携わる者は、対処的な指導より、開発的な指導を心がけるくらいでちょうどいいと思います。

対処的な指導を行わなければいけない場面なんて、毎日ありますから。


偉そうなことを書いていますが、自分自身への戒めの意味が一番強いです。

クラス替えを前にしたこの時期、対処的な指導に追い立てられる自分の学級を見て

自分の担任としての力量のなさを感じます。

「もし、自分が担任ではなかったなら、この子たちをもっと成長させられたかもしれない」

学級を持つたびに、私が持つジレンマです。




愛知県の23歳の教員が、実験に失敗した罰として、希塩酸15mlを生徒に飲ませたらしい・・・


・・・う~ん


突っ込むところが多すぎて、どこから突っ込んだらよいことやら・・・



ダメだろっていうのは簡単だし、教師失格とか、体罰だとか、傷害事件だとか


いろいろな言い方はあるのですが


そういう言葉でひとくくりにするのは、問題の本質をぼやかしてしまうでしょう。



そこで一つずつ考えてみます。


問題なのは「体罰」だということ


体罰をしたら、教員の負けだと思っています。

理性ある人間を育てているのだから、本能的な暴力に訴えるのは、教育の本質に反する。

それに、力でねじ伏せられた生徒は、同じように力で物事を解決しようとします。

虐待の連鎖と似たようなことが起こるんじゃないかな・・・


二つ目は、罰を与える場面ではないということです。

私も罰を与えることはあります。

清掃活動のときにふざけていれば、やり直しの罰を与えます。

他の生徒を傷つけることがあれば、謝罪と反省文を書かせることだってあります。


ただ、学びの中に罰は不要です。

ちょっと話が大きくなりそうなので、理科の実験に観点を絞って考えます。


私は、理科のクラスを持ったとき、初めにエジソンの話をします。

エジソンは電球のフィラメントを作るために、あらゆる材質をテストしましたが、なかなか都合の良い素材が見つからなかったそうです。

あるとき、エジソンに向かって

「そんな失敗ばかりの実験に意味があるのか」

といった人がいて、エジソンは

「世の中には10000の物質があるといわれている。私は今まで5000の物質で実験をした。つまり残り5000の中に、求める物質があるはずだ」

と答えたそうです。

まぁ正確な話かどうかは怪しいですが

彼は「期待通りの結果ではなかった」という結果を大切にしていたのです。

エジソンにとっては

自分の思い通りにならなかった数千の結果も

自分の思い通りになった一つの結果も

等しい価値を持っていたのです。

だからこそフィラメントの発見に結び付いたということです。

これが科学の追究の本質だと思います。


実験に失敗などありません。

教科書に書いてある結果を出すためだけのものならば、実験など不要です。

あるのは自分の予想と結果、それから考える考察です。

予想と結果が一致しようと、不一致だろうと、その結果は等しい価値を持っています。

ってか、仮にも科学を学んできたんだろ、そのくらい分かれよ・・・


失敗というならば、雑に器具を扱ったり、ふざけていて実験の目的とは全く違うことをやっていた場合です。

それならば失敗ですし、私なら実験をさせません。

罰とか以前に危険ですから。安全を守るために止めます。

その状態は学び以前の問題で、生徒指導的な話になります。

ただ、みんなの前で飲ませたって状況を聞くと、どうもそうではないように思えます。

余興的な意味だったのでしょうか・・・

この行為が化学に対して暴力的な印象を与えます。

刺激のつもりだったのでしょうかね。


きっと、化学の知識はあった先生でしょう。

希塩酸を飲んでも人体に影響はないでしょう

まぁ濃度にもよりますがね。劇薬ですから・・・

そういう実験も何かで読んだことがあります。


自分でもやってみて影響はないと踏んでやったことなのでしょう。


私も授業で希塩酸を舐めるってことはやったことあります。

もちろん罰ではありません。

その時は

「酸は酸っぱいんだよ」

と私が話していたことを聞いた生徒が

「塩酸はどうなんだ?舐めてみたい」

と言い出したので、十分に薄めて、希望者で舐めました。


酸っぱい・・・ていうか渋いですよ・・舌がしびれます。

ミョウバン(こちらは食品ですからもちろん安全です)

を舐めたときみたいな感じです。


ただ、罰として与えたら、化学への興味ではなく、恐怖を与えるでしょう。

学びとは全く逆なのです。


23、おそらく新卒初任の先生でしょう。

過程を満たしてを卒業すれば、教員免許は取れます。

でも、その日から先生としての力を持っているわけではないです。

この方は確かに不注意ですし、乱暴ですし、配慮に欠けます。

教員失格だとか、採用方法に問題があるとか言われるでしょう。


社会的な問題にするときに、本当に考えてほしいことがあります。


教員って、ある日突然教員として授業をやることを求められます。

担任として学級指導に当たります。

初任者研修ってのがありますが、担当教官は常に見て育てているわけではなく、週に1・2回授業を見たり、指導を行っているわけです。


初任者はみんなそれで悩みます。

どんな方法が良いかを模索します。

指導書に書いてあることは、あくまでマニュアルです。

それをもとに毎日試行錯誤しながら、ようやく自分なりの方法を見つけていくわけです。


教育の大切さは、政治的にも社会的にも広まっていると思います。

だから学校の指導内容にみんなが関心を持っています。

それはいいことです。

だからこそ、最前線で教育にあたる教員の育成には、もっと力を入れてもいいのではないでしょうか?

こんなことを言うと、またどこかに集まって研修を増やそうとかいう的外れな議論になりそうですね。


山本五十六の言葉です

『やってみせ、言って聞かせて、

させてみて、誉めてやらねば人は動かず』


どこかに集まって話を聞く研修、実習等も含みますが

この手の研修は山ほどあります。


でも、やらせてみて、それを評価する研修は充実していません。

いきなり一人で授業をやったり、学級指導をする担任になったり。

うまくいかなくて当然です。


こんなことを言っている私は甘いでしょうか?

でも、一般企業でも、大事な顧客への対応を、新卒の社員にいきなり一人でやらせませんよね。

生徒は顧客ではないのですが、きちんとした対応をしなければいけません。


今の学校に求められているレベルって、そういうことですよね。

教員の適正なんて、試験じゃわかりません。

教育の質を上げるならば、施設より人に力をかけなければなりません。


教育で最も大切なのは、人です。

この塩酸の問題は、様々な問題を私に考えさせてくれる機会を与えてくれました。


みなさんはどう思われますか?


え~


本日はアンサンブルコンテストの大会でした。


まぁ、結果はというと、金賞


でも、次の大会には抜けられず・・・



ちくしょ~!!


聴いている限りでは一番だと思ったのに!


実際、生徒たちは本当に実力をつけて臨んでいたし


私も納得のいく仕上がりだと思っていました。



・・・・でもね・・・


審査員の先生がつける点数にはつながらなかったようです。


結局何が基準なんだかわからん


悔しいなぁ悔しいなぁ・・・


自分はまだ吹奏楽顧問一年目の駆け出し顧問ですが


今回残ったチームは、私の考える限りの指導をしたつもりです。


しかし、それで通用しなかったということは


もっとよく勉強しろということですね・・・はい、わかりました~




難しい、吹奏楽


ってか、この地区のレベルが半端ない・・・


今回は県内4地区のブロック大会だったわけですが


実質県大会だったんじゃないか?


何を言おうと、敗者のたわごとですね・・・



ちくしょ~!


認めんぞ!絶対夏コンでリベンジしてやる!


勝利をつかめるその日まで、何度でも挑戦してやるさ!


・・・だから、みんなついてきてね♪


・・・とまぁここでこんなこと言っても、うちの部員はこのブログの存在を知らないので・・・


明日の練習で伝えよ~っと