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教員日誌

中学校教員、日々の実践の振り返り、反省、諸々
自分が振り返るための実践記録ですが、ご意見いただけたら嬉しいなぁ

大人から見ると、わり算なんて、当たり前にできるものだから、苦労なくできるだろうとか思って授業をやるのだけれど

小学校にきて思ったことは、当たり前を当たり前まですることが、一番難しいということ。

1を100にするより、0を1にする難しさだ。

これはこういうやり方なんだから、深いこと考えずにやれ

っていうのは簡単なのだけれど、それは納得や理解にはつながらないんだなぁと思った。
もちろん繰り返すうちに原理を理解する道もあるのだけれど、活用や思考力をつけるには、遠回りで、自分でやったという達成感もかんじられると思って、解き方を教えるってのは、できるだけやらないようにしている。

それで基礎が定着するのか?
という見えない声はいつも意識しているので、テストの結果も気にしている。

学力をつけるって、難しいことだなぁ




佐世保の事件
二つあるのだけれど、どちらの報道にも、発達障害と関連性を持たせるようなものがあることを知った。
どこぞのコメンテーターの発言も話題になっていた。
「また、発達障害や精神疾患が犯罪とリンクして見られる風潮になるのかなぁ…」
と夕飯時に話してみると、嫁さんから返ってきた答えは
「世の中の人はそんなにバカじゃないよ。」
というものだった。


確かにそうなのかなぁ・・・


ADHDや自閉症スペクトラム、いろいろ名前を変えてきているが、同じ診断名が出ている子どもがみな同じかというと、当然そうでもないし、その障害が犯罪につながるとは思えない。


犯罪白書を見ても、精神疾患や発達障害を抱えている(または抱えていると思われる)人間の犯罪率は、そうでない人間の3分の1だと書いてあった。


http://homepage3.nifty.com/kyouseisha/sub042.html


発達障害、それ自体が問題になるのではなく、そこから二次的に発生した周りの環境の方が問題を大きくして、さらなる障害を引き起こしていることの方が多いのではないだろうか。



元記事

毎日新聞 8月19日(火)10時45分配信

 今年4~6月、埼玉県内の男子中学生6人が、教諭への暴行や傷害の容疑で同県警に相次いで逮捕されていたことが分かった。いずれも「胸ぐらをつかんだ」「胸を殴った」などで学校側が通報し、警察官らが現行犯で逮捕した。被害の程度が軽いケースでも学校への警察介入を進めるべきなのか、校内の問題は現場の責任で解決すべきか--。識者らの意見も割れている。【川畑さおり】

~~という記事を見た。


校内暴力が盛ん(?)だった時代はもっと現場の先生はもっと大変だったと思うし、その時代にも警察が介入することだってあったのだろうと思います。


下のグラフを見ても分かるように、一時期に比べて、校内の暴力事件の総数は減っています。

平成23年版 犯罪白書 第7編/第2章/第1節/4より・・


 

この記事で話題になっているのが、警察への通報の数が多かったということと、胸倉をつかむ、全治一週間程度のけがでも通報していたということ。


暴力の件数も程度も、上記のグラフの昭和50~60年代に比べれば、軽いと思います。(こういういい方は不謹慎かもしれませんが・・・


なぜ埼玉の中学校は警察の介入という措置を取ったのか。


これは体罰報道が影響していると思います。


確かに、学校で暴れる生徒を制するときに、接触することはあるし、つかむことだって、倒すことだってある。

今まではそのことについてどうとか言われることはなかったのですが、順番としてはこんな感じだとおもいます。

1、部活指導などで体罰が問題となった。(これは確かに問題です。何も間違っていません)

2、体罰という言葉が一人歩きを始めて、生徒も、保護者も、職員も相手に接触することに体罰と認識し始めた。

3、学校の職員は生徒指導で身体接触する行為を体罰だと認識した。

4、言葉だけでは、指導できない生徒に対して、別の手段を考えるようになった。それが、警察や児童相談所という手段につながった。

報道を見ていると、警察の介入を許すか許さないかの二択で議論になっているようなのですが、そこが基本的に的外れな議論になっていると思います。

体罰という言葉がものすごく拡大解釈されている気がします。

①部活動での練習の仕方が悪かったり、成績が悪かったりして殴られること。

②暴れている生徒の胸倉をつかんで倒すこと。

③遅刻してきた生徒を廊下に一時間立たせておくこと。

どれも相手を傷つける行為になり、問題だと思いますが、その中身は違いますよね。

①も②も③も体罰でしょうか?

この三つをごちゃまぜにして体罰と言っている限り、この問題は解決できないのではないかと思います。

生徒指導と体罰の線引きが怪しくなってしまったため、学校がとった手立てが警察だったのでしょう。一つの学校、一つの地区の生徒指導方針や判断が問題となるのであれば、判断が明確になる線を決めて、それを実行するくらいのことをした方がいいのではないでしょうか。生徒指導の具体的で現実的な方針を明確にした方が良いと思います。

橋本市長の出した線は大雑把ですが、間違いではないと思います。外に隔離するだけが良いわけではありません。指導の線は、教員に対しても、生徒に対しても、社会に対しても、統一して表示する方がいいですよね。

私の個人的な意見としては、警察は必要に応じて入ってもらった方がいい場合もあると思います。

煙草や飲酒、無免許運転、傷害などの法律に触れる行為を、教員や学校が独自の判断で対処してしまうことの方が問題でもあると思います。違法行為を独自の指導で解決する権利は、もともと学校にはないでしょう。

一教員が指導できる範囲と、それを超えた範囲の生徒指導が存在します。

ただ、教員の方も、本当に正当性があるかどうかは怪しいときもあります。

感情的になっていることもあると思います。

それを防ぐための策は、チームで対応することです。一人で判断しない。複数の目で対応を考えることです。

本当は、一つの教室の30名以上の生徒を、一人の大人が管理している状況に問題があるのです。

確かに、一人で、そんな状況を作らいない素晴らしい実践ができる先生もいらっしゃるし、私もそうなりたいと頑張っているのですが、現実的に、すべての教員がそこまでの力を持つのが難しいです。

一教室に、常時2名の教員を配置できる予算がないから、こうなるんですけどね。

絵に描いた餅の話はやめておきましょう。

以下は記事より


 1980年代に放映されたテレビドラマ「3年B組金八先生」は、主人公の生徒が逮捕されるシーンが話題を呼び、「問題生徒を『腐ったミカン』のように排除すべきではない」とする教育論が優勢だった。しかし近年は体罰が社会問題化し、いわゆるモンスターペアレントなど保護者対応もより難しくなった結果、教諭による生徒への抑止が利かなくなっている事実がある。

 中2の息子がいる同県内の50代男性高校教諭は「暴力を目撃した他の生徒のショックは大きいし、自分の子が被害に遭わないか心配。警察の介入は仕方ない」としつつ、教諭の立場から「大人に暴力をふるうのはそれまでの不信感や不満が積み重なった結果。日ごろから生徒とコミュニケーションがとれる関係を作るべきだ」と話す。

 「夜回り先生」で知られる水谷修・花園大客員教授は「もう学校だけでは対応できなくなっている。教諭にゆとりはなく、礼儀などを含む全ての指導を求めるのは無理がある。子供を育てるのは社会全体の責任。学校が警察を含む各機関と連携しながら子供たちを良い方向に導こうとするのは、間違いではない」と理解を示す。

 一方、教育評論家・尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易ではないか。学校の自殺行為でとんでもない話だ。背景には教諭の力量不足があり、他生徒への『見せしめ』の意味もあるのだろう。心の琴線に触れるような指導をせずに、生徒が更生するとは思えない」と厳しく批判している。


水谷先生のおっしゃることは現実論

尾木先生のおっしゃることは理想論





現実論をあてはめないと、学校は多くの矛盾を増やし続ける。
理想論をあてはめないと、学校はその魂を失ってしまう。