秋彼岸法要へ

 

 

前回書いた「お彼岸に、これまで受け取ってきたものを思う」の続きです。

 

 

 

 

 

彼岸の中日を迎えた昨日、
菩提寺の彼岸法要に参加してきました。

 

この日は、まず座禅から。

 

静かに座っていると、
普段はあれこれ動いている頭の中も、
少しずつ落ち着いていくような感じがします。

 

その後、彼岸法要。

 

お経を聞きながら、
ご先祖さまや、これまで自分が受け取ってきたものに
思いを向ける時間になりました。

 

そして、法要が終わったあとは、
絵本の翻訳作業です。

 

 

 

今回はカレン語の絵本

 

「絵本の翻訳」と言うと、
日本語を外国語に訳していく作業を想像しますよね。

実際には、少し違います。

 

日本語で書かれた絵本に、
現地の言葉に翻訳されたシールを貼って、
翻訳絵本をつくっていきます。

 

今回つくったのは、カレン語の絵本。

 

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日本語の文章の上に、
カレン語のシールを一枚ずつ貼っていきます。

 


位置を確認しながら、丁寧に。

昨年はラオス語の絵本をつくりました。

 

去年はラオス語。
今年はカレン語。

同じ絵本を届ける活動でも、
毎年違う言葉に触れられるのが面白いところです。

 

 

 

 

一冊の絵本が、海を越えていく

 

この活動は、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会の「絵本を届ける運動」です。

 

シャンティでは、日本語の絵本に現地の言葉の翻訳シールを貼って、

アジアの子どもたちに届ける活動を続けています。

2026年度は、カレン語、ラオス語、ビルマ語、クメール語などの絵本が用意されています。

 

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私が貼った一枚一枚のシールも、
このあと日本を出て、
いつかどこかの子どもの手に渡るのだと思うと、

なんだか不思議な気持ちになります。

 

私がしていることは、
一冊の絵本にシールを貼ること。

 

それだけと言えば、それだけです。

 

でも、その小さな作業がつながって、
誰かの「読む」という時間をつくる。

そう思うと、
一枚のシールを貼る手にも
少しだけ気持ちが入ります。

 

 

 

受け取ったものを、次へ

 

前回の記事で、

「受け取ることと、渡していくことは
つながっているのかもしれない」

と書きました。

 

今回のお彼岸では、
そのことを実際に感じる一日になりました。

 

法要では、これまで受け取ってきたものを思い、

そのあとには、
自分の手を使って誰かに渡っていくものをつくる。

 

ご先祖さまから受け取ったものも、
誰かから教えてもらったことも、
日々の暮らしの中で身についたことも。

 

そうやって受け取ったものが、
形を変えながら、
また誰かへ渡っていくのかもしれません。

 

お彼岸というと、
過去を振り返る時間のようにも思いますが、

こうして考えてみると、
これから先へつながっていく時間でもあるのかもしれません。

 

今年のお彼岸は、
そんなことを考える一日になりました。

 

お彼岸に、これまで受け取ってきたものを思う

 

今日は秋分の日。

 

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私は、菩提寺の秋彼岸法要に参加する予定です。

 

お彼岸というと、

お墓参りをしたり、
ご先祖さまを思ったり。

 

子どもの頃は、「学校が休みの日」

位の認識でした爆  笑

 

その休みの日には祖父宅に行くことも多かったかな。

きっとお彼岸に、
若くして亡くなった祖母のお仏壇をお参りに行っていたのでしょう。
記憶があいまいですが。


そういう季節の行事のひとつとして
捉えていたような気がします。

 

 

でも、歳を重ねてくると、
少し感じ方が変わってきました。

 

「今の私があるのは、
たくさんの人から何かを受け取ってきたからなんだな」

そんなことを思うようになったんです。

 

言葉だったり。

知恵だったり。

誰かの生き方だったり。

何気ない一言だったり。

 

そのときには、
特別なことだと思っていなかったことが、

何年も経ってから
「あのときの言葉、今になってわかるな」と
思うこともあります。

 

 

自分では忘れていたようなことが、
いつの間にか今の自分の中に残っている。

 

そう考えると、
私もこれまで本当にたくさんのものを
受け取ってきたんだなと思います。

 

 

そして今日は、
もうひとつ予定があります。

絵本を海外へ贈るボランティアです。

 

法要と共に去年も参加しました。

 

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去年参加した時の画像です。

 

 

こちらは今度は、
私が誰かに何かを渡していく側。

 

もちろん、
自分が何かを教えるというような
大げさなものではありません。

 

自分にできることを持ち寄って、
誰かの役に立つ形にしていく。

 

そんな時間なのかなと思っています。

 

 

そう考えると、

受け取ることと、渡していくことは、
つながっているのかもしれないな

と思います。

 

 

誰かから受け取ったものが、
今度は別の誰かへ渡っていく。

 

そして、その人からまた誰かへ。

 

そうやって、
目には見えないものも
受け継がれていくのかもしれません。

 

お彼岸というと、
「ご先祖さまを思う日」というイメージがありますが、

今年は少し違った気持ちで
手を合わせてみようと思っています。

 

これまで私に何かを渡してくれた人たちのこと。

 

そして、これから私が
誰かに渡していけるもののこと。

 

 

今日の彼岸法要で感じたことは、
またあらためて書きたいと思います。

 

彼岸花を見ると、お彼岸だなと思う

 

 

今日は彼岸入り。

道を歩いていて、彼岸花を見つけました。

 

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毎年、この花が咲くと
「ああ、お彼岸だな」と思います。

 

暑かった夏も、そろそろ終わり。

朝晩は少し過ごしやすくなってきて、
季節はちゃんと進んでいるんだなと感じます。

 

お彼岸だからといって、
毎年特別なことをするわけではありません。

 

でも、こういう季節の節目には、
なんとなく親のことを思い出します。

 

元気にしているかな。

最近、変わったことはないかな。

次に会うのはいつかな。

 

親が年齢を重ねてくると、
以前は気にしていなかったことが
少しずつ気になるようになります。

 

歩くのがちょっと遅くなったり。

前より疲れやすそうだったり。

家の中の様子が少し変わっていたり。

 

電話で話していても、

「あれ?前とちょっと違うかな」

と思うこともあります。

 

そんなとき、

「何かしてあげなくちゃ」

と思ってしまうこともあるけれど。

 

私は、まずは
気にかけていることだけでもいいのかな、
と思うようになりました。

 

次に会ったときに、少し家の中を見てみる。

一緒にごはんを食べる。

最近どう?と聞いてみる。

 

そんな何気ないことの中に、
親の変化に気づくきっかけがあるかもしれません。

 

そして、親のことを考えるときは、
自分のことも少し考えておきたい。

 

親のために何かをすることで、
自分の暮らしがいっぱいになってしまったら、
きっと長くは続きません。

 

親も、自分も。

できるだけ無理をせず、
それぞれの暮らしを大切にしながら
過ごしていけたらいいなと思います。

 

彼岸花を見ながら、
そんなことを考えた彼岸入りでした。

 

今年のお彼岸は、
親に電話してみようかな。

 

そんな小さなことからでも、いいのかもしれません。