久しぶりすぎるブログの更新。
オペラシティで、モーツァルトのレクイエム、バセットホルンでご一緒させていただきました。
オペラシティ。わたしはここのホールで音を出させてもらうのは3回目。
1回目は、東日本大震災の時の、復興支援コンサート。
卒業生による藝大ブラス。わたしは、たしかまだ院生でした。
大大大先輩に囲まれ、それはそれは刺激だらけの本番。
ってちょっと待てとんでもねぇメンバーじゃねぇか…なんで私ここに入れてもらえたん…?
そしてまさかのコンマス、今日までご一緒くださった、今回お声がけくださった先輩ですよ
ねーもー、ほんと、なんでわたしの人生の節目節目をいつも、知らないうちに支えてくれてるの
このラッパの子が、
「海沿いで、海の恩恵を受けながら生きている人間は、海とともに生きていくんだと思います。海が喜ぶときも、海が苦しむ時も。津波で亡くなること、それも、海と共に生きている私たちの運命なのだと思う。」
ってちょっと私の想いも入っちゃってるかもしれないけど、そんなようなことを当時、マイクを持って話していたのが、本当に心にグサリと。
今年、能登半島地震の時に津波が来る!ってなった元旦、この子の言葉を思い出さずにはいられなかった。
海と共に生きる。
自然の大きさ、偉大さ、脅威。
自然に逆らうなんて、人間には出来ない。
音楽も然り。
2回目は、オーケストラアカデミー3年目。
2年目に妊娠し、もうここでクビになっても仕方がないと腹を括り、年度末の面接で先生方に打ち明け、覚悟を決めた。
と思ったら、あと1年、わたしが在籍することを赦してくださったオーケストラアカデミーのみんなと、長男生後半年くらいの頃に行われた、桐朋オケアカとしてもものすごく久しぶりの、東京公演。
マエストロが飯守さんなのも泣けるやろ?
これが、唯一、実母にも聴いてもらえたオケアカの演奏会。
いっつもオーバードで音作りをしているオーケストラアカデミーという団体にとって、なかなかに苦戦した、東京という地の湿度、そしてオペラシティというホールの響き。
しかし私にとってはこの公演が、どれだけ大切な一つとなっているか。。
そして今回。
学生当時気に入っていたB44はどうしても気に入らず、この度B40新調。
当時気に入っていたシグネチャーの3 1/4のリードも気に入らなくて今回はケーン。倍音が、わたしはやっぱりケーンがいい。
アンコールのアヴェヴェルムコルプス(管楽器群は休み。)で、涙を流さずにはいられなかった。
トランペットの海保先生追悼記念、合唱団の創立40周年記念。
マエストロの熱い想い、表情、それを無駄にすまいと食いついていく合唱団との一体感が、オペラシティという空間に響き渡る。
もう。
言葉にすることができません。
この今回メインのモーツァルトのレクイエムという曲も、私にとっては高校時代からずっと、最も大切な楽曲のひとつ。
全てが完璧すぎた。
舞台で涙を流したのはいつぶり、何度目だろうか。
やっぱり私は、音楽無くして、息をすることはできない。
どんなに苦しくとも、どんなに大変な道であろうとも、わたしの命は、音楽と共に生きるためにあるのだと。
今日、心新たに。
誓った。