今日のテーマは、先週から癌の特効薬として注目を浴びている『AOH1996』(臨床試験中)についてです。

 

概要

一通り論文にざっと目を通してみたポイントはこんな感じでした。

 

・癌細胞は非常に早い速度で分裂する。通常の分裂細胞とは異なり、DNAの複製と転写が同時に行われている。

・DNAの複製に関わるパーツ(PCNA)の機能を調べるため、AOH1996という化合物をデザインした。

・AOH1996が結合することで、PCNAは転写用のパーツ(RPB1)と相互作用し、DNAを切断する物質を作っている。

・上記によって癌細胞に細胞死が誘導される。

・健康な分裂細胞(DNAの複製と転写が同時に行われていない場合)には影響が見られない。

 

なぜ癌細胞が細胞死するのか、本当に癌細胞以外の細胞に影響がないのかなど、検証部分以外では不明な部分もありますが、これまでのマウス実験や最初の治験では副作用は確認されていません。

 

そもそも、今回のAOH1996を生物に投与したのは今回が世界で初めてなので、細胞死が誘導されたり、健康な分裂細胞に影響が見られないことそのものが新しい発見です。

 

 

 

PCNAについて

 

AOH1996が標的とするPCNA(proliferating cell nuclear antigen)は、DNAの複製、修復、細胞周期の調節にかかわるタンパク質です。

上記の画像のようにリングの形をしたタンパク質で、働く時は中央の穴にDNAを通し、DNA上に沿って移動します。

この時、複製、修復、細胞周期調節に関わる様々なタンパク質とくっついて相互作用します。

 

PCNAは、DNAを使用する際の基盤として機能しているのです。

 

 

 

RPB1について

DNAを転写するのはRNAポリメラーゼというタンパク質複合体です。

 Wikipedia RNAポリメラーゼⅡ より

 

RPB1(RNA Polymerase Ⅱ subunit 1)は、DNAを転写するRNAポリメラーゼIIのパーツの1つで、DNAがRNAへ転写される際に必要な溝を形成します。

 

つまり、 RPB1はDNAの転写を開始するのに必要なタンパク質なのです。

 

 

 

転写複製競合について

高校生物の授業ではDNAの複製とDNAの転写について学びますが、

 

実は複製と転写のタイミングがどのように制御されているのかは未だ解明されていません。

 

つまり、今この瞬間、DNAは複製されるべきなのか、転写されるべきなのかを判断する仕組みが見つかっていないのです。

 

いくつかの論文を見ると、複製に使われるパーツと転写に使われるパーツが同じタイミングでDNAの近くに存在しているので、複製と転写が衝突しているケースが報告されています(転写複製競合という言葉が使用されています)。

 

そして、特に増殖速度の速い癌細胞の内部では、非常に多くの複製と転写が同時並行で行われていることが知られています。

(正常な分裂細胞ではおそらくきちんと制御されているだろうということが、今回のAOH1996を用いた実験によって示されました。)

 

 

AOH1996の作用について

AOH1996がPCNAに結合すると、PCNAとRPB1の相互作用がとても長引く(安定化する)ことが確認されました。

 

つまり、細胞にとってはDNAを複製するのか転写するのか、いつまでも決まらない状態になるのです。

 

 

この状態が続くと、細胞内で異常が発生した場合に細胞が自死する仕組み『アポトーシス』のスイッチが入り、DNAを切断するタンパク質の転写が開始されます。

 

そして、複製を行おうとして一本鎖状態になっていたはずのDNA(DNA複製フォーク:1枚目の画像を参照)が、どんどん切断されてゆき、最終的には細胞が死滅してゆきます。
 

 

 

AOH1996が正常な分裂細胞を攻撃しない理由

実験の内容については少し長くなるのでここでは記載しませんが、今回の論文では結論としてこのように書かれていました。

 

①『AOH1996はDNA複製フォークの崩壊を引き起こすが、それは活発な転写が存在する場合に限られる』

 

正常な細胞では複製と転写が同時に起きるようなことはあまりなく、これが正常細胞に悪影響を与えずに癌細胞だけを死滅させる要因になっています。

 

とは言いつつも、転写複製競合自体がどのように制御されているのかについては未だ明確にはなっていません。

 

 

②『RPB1とPCNAの相互作用が減弱するとAOH1996に対する耐性が得られる』

 

これは、AOH1996によるPCNAとRPB1の相互作用によってDNAを切断するタンパク質の転写が行われていることを意味しています。

 

逆に言えば、正常な分裂細胞では転写が行われておらずRPB1が非常に少ない。そのため、PCNAとの相互作用が発生しないので、AOH1996がPCNAに結合してもDNAの切断が始まらないということです。

 

 

今回の記事は以上です。

 

臨床試験は順調に進んでいるようなので、今後の試験結果が非常に楽しみです。