程よい肌寒さ、さわやかな晴天。

うんこダッシュで家中を駆け巡るつぐみに
今朝は起こされました。
ここのところ涼しい時間が増えたせいか
家で一番暖かいロフトの羽毛布団に沈んで
ゆったりしている時間の多いつぐみ。
忘れた頃にニャーと鳴きながら登場するので
毎度笑ってしまう。
何年一緒にいても、毎日会うたびなんか笑ってしまうのがつぐみ。

三連休も終わり間近になった昨日の夕方。
明日が保育園だと分かると大袈裟に泣きはじめる娘。
でもよーく見ると涙は出ておらず。
「いつものことでしょー」と顔を覗くと
何もなかったように走り去る。
最近ウソ泣きを覚えて、所々使ってきます。
狂言のようにあまりに大袈裟に泣くので
笑っちゃいそうになる気持ちを押さえ、平らな気持ちで接すると
作戦失敗、みたいな調子で走り去る芸達者ぶり。
今朝も保育園で受け入れの部屋まで送ってバイバイし、
ホールで布団のシーツ掛けをしていると
遠くの方から大袈裟な娘の泣き声が。
おっ、やってるな、と思いつつ園を後にしました。

自分に都合のいい知恵は
どんどん発達する、というのが
発達障がいの娘を持って分かりました(笑)

話飛びます。

昔、小学校の特殊学級にいたあの子達は
発達障がいだったんだな〜と
ふと思うことがあります。

なんか違うということは子供ながらに分かるし、
障がいという言葉も知っている。
でも何が違ってどんな障がいなのかは
分からないし、知ろうとも思わなかった。

近所には1個年上の女の子がいて、
その弟(私と同じ年)は小児麻痺で体を動かすことも、話すこともなく
いつもお母さんが押すベビーカーに乗っていた。

毎日のように遊んでいた3歳下のノリちゃんは
いつもツネちゃんと一緒。
ツネちゃんはおじさんで、ノリちゃんのお父さんの弟だったと言うことは
高校生くらいになってから知った。
知能は小学校高学年くらいだったのかな?
草野球、缶蹴り、ドロケー、花火、ドッチボールなんでも一緒にやった。
年が違うことは全くどうでもよくて
足が速い、ボールが速い、花火に火をつけてくれる、と
ツネちゃんは私達のヒーローだった。
何故か軟式野球のボールを100個くらい持っていた。

小学校の正門前にある文房具店の次男は
今なら分かる重度の自閉症児だった。
私達が小学生の頃、幼稚園児くらいだったと思う。
裸でベランダにぶら下がってたり
家から裸足で脱走したり、は日常茶飯事。
結構野放しにされていて
アピアピアピアピーとずっと言い続けているので
アピアピというあだ名だった。
みんなその店で文具を買っていたので
全校生徒がアピアピを知っていたし、
脱走するアピアピを男子が捕まえに走ったりもしていた。

祖母は信心深く慈悲の塊のような人だったので
特殊学級の子が祖母を慕って
うちに遊びに来たりしていた。
近所でガソリンスタンドの脇の建物が燃えたとき
消防士が必死で消火作業する隙を狙って
何度も事情を聞きに行こうとするかっちゃんを
必死で止めてた祖母の姿を覚えている。

特殊学級には障がいがある三姉弟がいて
普通級の男子にいつもからかわれていた。
女子は眼中にもない感じだったように思う。
一番上のお姉ちゃんは弟と同じ学年だったので
弟もその子をからかっていた。
みんな体が小さくて目が悪く、ランドセルが重そうに見えた。

たまに思う。
みんなどうしているのかな、と。

私は18で東京に出てしまったので
みんなのその後はあまり知らないし
その存在を思い出すこともなかった。

娘に障がいがあることが分かり
なんとなく気になったあの子達を母にたずねてみると、
小児麻痺の同級生は20歳前に亡くなった。
ツネちゃんはノリちゃんのお兄ちゃんに手を引かれて
スーパーで買物をしていたらしい。
かっちゃんは実家のガス屋を手伝っているらしい。
三姉弟の真ん中の女の子は、
たまたま私が里帰りしていた時に
母が新聞のおくやみ欄に名前を見つけた。
30歳手前だったように思う。

あの子達のお母さんのこともふと考える。
体格のいいツネちゃんと
腰が曲がったお母さん(ノリちゃんのおばあちゃん)の小さい背中、
アピアピのお母さんのいつも困ったような顔。
間を空けて歩く三姉弟の家族。

地元を離れてしまうと尚更
あの子達との接点が消えてしまう。

あ、時間だ。
資材調達の店が開いたので、今日はここまで。