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climb_danceのブログ

管理人が趣味として行なっているロッククライミングを通して感じた事を書き記しています。コンセプトはあくまで「管理人の独り言」。
岩場やルートの情報、写真掲は載せず、管理人が感じたことをそのまま書き残そうと思う。



先日、あるメーカーのビレイデバイスを購入した。


以前、沢登りに行ったときATCガイドを知らぬ間に落としてしまい、代わりのものが必要となった。同タイプのものを探していたら、軽量で安価があったためそれを購入することにした。


納品されてからすぐに試してみたく、ジムでさっそく使用してみた。ロープをセットした時はいつも使っているATCと変わらない感覚であったが、ビレイをしてすぐにある異変が起こった。


ロープがデバイスのなかでロックし、全く出てこないのである。


クライマーが1ピン目かける時点で異常に気付き、2ピン目をかけた時点でデバイスに異常があることを伝え、登攀を中止してもらった。


何が起こったのかよく分からず、その場にいたクライマーにも事情を説明し、原因を探った。結果、断定は出来ないがカラビナやロープとの相性によるものではなく、デバイスの形状が影響していると判断した。


後日、メーカーに問い合わせたが現時点で明確な回答を得られていない。


今回、事故を起こすまでには至らなかったが、最悪の場合はクライマーをグランドフォールさせていた可能性もあった。


前回、「ビレイヤーとして」で書いたが、ようやく人から信頼してもらえるビレイが出来るようになってきた矢先に起こったことで、異常に残念に思えてくる。


人が命を預ける道具なんだから、もっと考えて設計してほしい。
そして設計者自信が使ってみて、納得のいく製品を世におくりだしてほしいものだ。










「君のビレイは安心できる」


最近、そういってもらえることがあって本当に嬉しかった。


クライマーは名前の通り「登る」ことを追求し、強くなることを望む。それはボルダーであろうがショートフリーであろうが、どの分野でも同じことである。


しかしショートフリーの場合はパートナーが必要であり、クライマーはビレイヤーとしても役目を果たさなければならない。


クライマーは命を預けられるビレイヤーがいてこそ本気でトライできる。


それを理解し、ビレイヤーとして腕を磨き、もっと上手くなろうと努力するも者はどれだけいるだろう。ビレイを単なる義務としか思わない者がいてもおかしくはない。どんなに腕を磨いたところで登れるようになるわけではないから。


しかし、ビレイが未熟なままで信頼できない者は「危険なヤツ」と判断され、いずれ誰とも組んではもらえなくなるものだ。失った信用を取り戻すのはそう簡単なことではないのだが。


依然、「ビレイヤーの使命」にも書いたが、ビレイでもっとも重要なのは「予測」であり、クライマーの動きに合わせた先読みすることが必要だと思っている。


自分はただそれをやっているだけであり、人や周囲の状況によって気を抜いたり、適当にやったりしない。どんな時でも「本気ビレイ」をしているだけ。そしていつもどうすればもっと上手くビレイできるのか、と考えているだけなのだ。


そんな自分の思いや行動が少しでも周りに伝わったのだろうか。
でも今に満足しちゃいけない。もっと上手いビレイヤーにならなければならない。



自分に命を預けてくれるクライマーには、いつでも本気でトライしてもらいたい。
そう思っているから。












先日、なじみのジムで障害をもったクライマーを見かけた。


彼は右手首から上が無く、健常者のように指先を使ったクライミングが出来なかった。詳しくは見ていなかったが、トップロープで確保してもらい、右手はガバなどの大きなホールドをラップ持ちで保持していた。


かろうじてトップロープでクライミングは出来るが、どんなに経験を積んでもリードすることは難しいと思われる。手が使えないという事はクライマーにとっては致命的であることを改めて知った。


そしてもう一つ。手が使えないことで出来ないことがあった。
彼の一言がそれを気付かせてくれた。



「ビレイってどうやるんですか?」



片方であっても、手がなければビレイをする事ができないのだ。


「登る事」は出来る。しかし、ビレイとはパートナーの「命を守る事」であり、クライマーとの信頼関係がなければ絶対に成立しない。何か手を補う道具を使ってビレイを出来るようにしれば良い、という問題ではない。


彼がもし何らかの方法でビレイが出来るようになったとして、彼にビレイを任せてもいい、いうクライマーはどれくらいいるだろうか。自分だったら、彼に命を預ける事ができるだろうか。


正直、怖いし無理だ。どんなに考えても、それを解決手段や道具も思いつかない。


彼は山の会に所属し、登山だけではなくクライミングの要素が必要となる分野にも挑戦したいと言っていた。


こういうの、何とかならないものだろうか…










久々にキャンプに行く機会があった。


バイクに乗って遠出のツーリングをしていた頃から、キャンプ場で夜を明かすときに天気さえ良ければ、必ずやっていたことがある。


それは星空を見ながら音楽を聴くことである。


キャンプ場には川や海、木々、風、虫の音といった「自然の音」が存在し、本来ならそれを聴きながら、星空を楽しむべきなのかもしれない。


「音楽」といっても、プレーヤーから流れるものをイヤホンを通して聞いているだけであり、特別なものではない。普段、街中を歩いているとき訊くものと何ら変わりない。


しかし、そんなありきたりで普段から聴いてる「音楽」も星空の元で聞くことによって普段より何倍も良いもので、特別なものに感じられるのである。


煌々と光る星を見ながら音楽を聴いてるとガラにもなくセンチ気分になり、「今まで何をやってきたのか」「これからどう生きたいのか…」そんなことを考えたりする。


キャンプに来たときにしか出来ないことだし、それが好きでもあるから、どうしてもやらずにはいられないのである。


それにしても、今回の星空を見ながら聴いた音楽は本当に特別なものであり、今までとはちょっと違った気分になれたな。


やっぱ最高だわ。星空と音楽って!










「しゃりばて」とは空腹状態で運動をし続けることで起こる、いわゆる低血糖症である。体の中で糖質が不足すると極端に運動能力や思考能力が低下し、状況によっては致命傷ともなる危険な症状である。


自分もこの「しゃりばて」は経験したことがある。自分の場合、幸いにも症状が現れたのクライミングを終えた帰宅途中の車中であった。


いつもショートフリーでは昼食をとらずに登り続けているが、登攀している時間が長いマルチピッチでそれをやったことが原因であった。駐車している車に戻るまでは全く何ともなかったが車に乗った瞬間、一気に体の調子がおかしくなった。


普段、全く乗り物酔いをしないのにカーブを曲がるたびに血の気が引き、吐き気が襲ってきた。起きているのが段々と辛くなり、ついには…


          「あ…もうヤバイです…」


一緒に登っていた仲間にそう告げて、横になった。


仲間にもさんざん言われたが、自分でも「しゃりばて」であることを自覚し、症状を回復をさせるために食べたアイスは全く味がしなかった。まともな食事を取ってから数時間経ってようやくしゃりばての症状は回復した。


初めて「しゃりばて」の脅威を知った出来事であり、時には無理やりにでも食わなければならないと感じた。最近は登山もちょくちょくやるようになったし、ショートフリー以外ではちゃんと昼飯を用意しなければならない、と思った。


「しゃりばて」で動けなくなるか、食って動けなくなるか、微妙なところである。
ただ、何にしても昼飯に栄養ドリンクだけってのは避けるようにしようかな。