くくりひめ と くくり石 | くればのブログ

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上越市を中心に活動する SingerSongWriter 中村賢一

乱れた糸をくくり整える神様

『くくりひめ』

白山神社の神様は

縁結びの神様である。

 

 

「結ぶ」御力に優れ、

結婚、家族との絆、受験合格、良い取引

仕事に恵まれ結ばれるなど

結ばれるご利益がある。

 

 

くくりひめさまは女の神さまで

生む力と育て成育させる力を持った神様である。

 

 

七五三などの厄払いの参列者で

引っ切り無しに埋め尽くされる本堂

 

どんなに大勢でも、多い願いでも

光は等しく注がれる。

 

 

 

 

神社やお寺に行くと 

妙な引力に引き込まれる場所が必ずある。

それは得てして、本堂から離れた場所が多い。

 

パンフレットに表示された、最後の場所

御稲御倉(みしねのみくら)

ここだけ妙に違う空気を感じた。

引力の元は

ドンと置かれた『御神石』だった。

『くくり石』とよばれている。

 

 

存在感が違う。

 

呼吸をしている。

 

呼吸といっても、生物の呼吸ではない。

 

その空間に入り込んだ間違えた位相を正す

エネルギーが放出されているのだ。

 

御神石に触れるか触れないかの位置まで

手のひらを近づけると

チリチリと放電に似た感覚を覚える。

 

どうやら、ここの核となっているようだ。

 

生まれてから

巡り会い

別れ

そのくくりを繰り返す。

 

 

混同して比喩してはいけないかもしれないが

仏教の世界でも

観音菩薩の化身ダライ・ラマが

男女の性の行為をさとりのメカニズムに組み込んだように

 

ヒンドゥー教の神である

ブラフマー神

シヴァ神

ビシュヌ神

それぞれに性別があり

神話の中に男女の関係があるように

 

生を受けた時から

出会いと別れ、『くくり』を繰り返す。

 

人間には限られた命がある。

誰もが死を迎えるのである。

永遠はない。

 

素敵な出会いの数だけ成長する。

いや、

素敵じゃなくても成長する。

 

世の中に『正解』というものは無い。

『答え』も無い。

ただ、

あるのは人間が勝手に決めたルールであり

人間が決めた基準と比較して

良いか悪いかを判断しているだけ。

教育だってこれに従い、行われている。

 

もし、

世の中に、自分一人しかいなければ

正しいも、間違えている も無い。

 

正しいも、間違えも存在する理由は

ただひとつ

くくり(結び)があるからだ。

 

くくり(結び)があるから

色々と異なる位相が発生し絡み合う。

面倒くさいものだ。

 

絡み始めると、混乱する。

混乱すると、次の行動がわからなくなる。

問題はその先なのだ。

 

困った時に、どう行動する?

人によって違う。

 

大別すると、

そこに停滞し、チャンスを待つ。

もしくは

行動して、チャンスを得る。

だと思う。

 

それすらもわからなくなった時

ここに来て

御神石に触れてエネルギーをもらえばいい。

 

行動をすると、出会いが必ず生じる。

出会いが生じると選択肢が生まれる。

 

体を内と外、両方とも浄化して

次の行動を決めればいい。

 

そう思う 

 

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。