まとまった休みは正月とお盆だけだった。
研究室は最上階にあった。
研究室に籠りっぱなしの工学部4年
大学生活といったら、もっと華やかなものを想像していたのだが
残念ながら、研究の毎日・・
待っている明るい未来 に期待して、
前向きに、がむしゃらに頑張っていた。
たばこの煙がミーティングルームに層をつくっている。
椅子に座った頭の上から何層もできている。
不思議なのだ
煙は
濃い色から段階的に層を形成しているのだ。
靴底にある床が地球の表面だとするならば、
おれのちょうど頭の上に形成されている層が
スポラディックE層だな・・
などと、くだらないことを考えながら
ようじで刺した たこやきを人工衛星に見立て
頭の上で円を描きながら口に運んだ。
目の前でケンジのやろうが
『何やってんだ?コイツ』っと
言いたげな顔で、こっちを見ている。
夕暮れのひととき
絶品なのだ!
このたこやき
美味すぎるのだ!
何が良いって、
ビールとよく合うのだ!
こんがりと焼かれた表面に塗られた醤油が
香り立っている!
焼けた表皮が
タコを放り込んだ
あっつあつでとろっとろのペーストを包んで
保温の役割を果たしているから
この最上階に持ってきても、まだ熱いままなのだ。
読書好きな 桑ちゃんは
本を片手に読みながら
たこやきを頬張っている。
時折
食べるペースが速くなり、
『あっち』っと
のけ反り、慌ててビールを口に流し込んでいる。
おそらく
本の内容が最高潮に達したのだ。
たこやきと 瓶ビール で、宴をした。
宴といっても
それぞれ勝手な楽しみ方だったけど・・
それでも何となくチームワークはできていた。
実験の合間の休憩時間
ほぼ毎日、
チープで贅沢な時間を楽しんだ。
おれらはその、絶品たこやきをビールで楽しむことを
“タコビー“ と称した。
1箱150円
じゃんけんで負けたやつが下界まで降りて買ってくる。
守衛さんのいる門から出て、
すぐ右に曲がって5mほどのところに
たこやきを売りに屋台が来る。
・・とういより
屋台は固定した位置に存在していた。
学生はエレベータの使用禁止だから
さすがにここまで登ってくると息が切れる。
瓶ビールはいつも冷蔵庫に入っていた。
アセトンやブチルの入った瓶の横に
飲用アルコールとして 同じ顔つきで立ててあった。
助手の先生が無くなると入れてくれていたのである。
研究室から見下ろす景色は絶景だった。
大きな窓枠の四角いガラスの向こうには
立ち並ぶビルや、工場の煙突がよく見えた。
ちょうどその時間は
街燈や民家の明かりが灯る時間帯
どこまでも広がっていく夕焼けの色は
今でも覚えている。
オレンジや赤や黄色の絵具を無造作に筆に付け、
一気に塗りたくると、こんな感じになるだろうか
いくつものフロアを駆け下りて
たこやきを買ったら
また
いくつものフロアを上がる。
じゃんけんに負けると大変だったのだが
ただ
ひとつだけ楽しみがあった。
たこやきの屋台
その
鉄板の向こうには
みんなのあこがれのマドンナがいたのだ。
背筋がまっすぐで
長い髪をきれに束ね、
化粧はそんなに濃くなく
身長160cmくらい
スタイル抜群で
年齢は二十代後半から三十代前半ってところだったかな
そのマドンナが
たこやきを巧みにひっくり返しているのである。
口数は少なく、
必要以上のことは話さない。
なんとも清楚で 皆のあこがれのひとだった。
タコビー会は
最後の登校日まで、続いた。
もう
30年以上前のできごとである・・
おれは
その三流大学を卒業後、
地元の企業に就職した。
今のおれときたら、みじめなもので
会社からは認められず
気付いたら組織の底辺で働いている。
がむしゃらに頑張ってきたが
上層部の思いつきでおれは系列子会社に異動となった。
まるで捨て駒のような扱いだった。
ところが
おれを動かしたお偉いさんの2人が
会社の金を横領したことがばれて失脚・・
(まったく笑っちゃうよ・ほんと)
おかげで
気づくとおれは、どこにも属さず
宙に浮いた状態になってしまった。
熱く、
真剣にやってきた自分が馬鹿らしくなった。
『とりあえず、労働は金を稼ぐだけの手段』
そう
ある時から、
割り切りはじめた。
このところ、
不思議と
気持ちに余裕がでてきたのだ。
いろんなことが片付いて
自分の時間もとれるようになってきた。
なかなか母校に行く機会が無かったのだが
ようやく
30年以上経った今
その時間をつくることができた。
とある日曜日のこと
音楽イベントが母校の近くであったので
そのついでに学校まで行ってみることにした。
本来の目的を済ませてから
聞き慣れた路線に乗り換えた。
毎日、乗り降りした駅にたどり着いた時には
もう
太陽は西の空に沈みかけていた。
駅も、学校までの道も
全てが変わっていた。
改札を抜けると
斜めからの日差しがまぶしかった。
全てが変わっていたけど
この、ぬるい風・この空気感 は
あの当時を思い出す。
学校までの道のりを歩くことを楽しみにしていたのだが
駅を降りてすぐに見える位置にあったはずの
1号館(研究室があった建物)は
もう
そこには無かった。
校舎は
駅の反対側にまとめて移転していたのだ。
『なんだ・・残念だな・』
そう思い
引き返そうと思った時である。
“たこやき”
と書かれた赤い布を発見したのである。
そこにあったのは
昔の面影こそなかったが
あきらかに たこやきの屋台である。
『まさか・・そんなことはないよな』
(もう、30年以上経っているもんな・・)
そう思い
懐かしい味を期待して
赤いのれんを持ち上げた。
あ、あの懐かしい匂い。。
中には
かっぽう着姿の
初老の女性が1人で
たこやきを転がしている。
1箱500円 の それを注文した。
あの頃も
たこやきを焼くプロセスを、ただじっと見ていた。
今
目の前で焼くプロセスやカタチが
あの頃と同じだ。
そりゃ、地域色ってやつで
どこも同じなんだろう。
そう思った。
それでも、
それでも、もしかしてってこともある
会計する時、
思い切って聞いてみることにした。
『あの・・
ここで何年、たこやき焼いているのですか?』
『そうだね・・もう40年近くやってるよ』
『!・・・』
『最初は大学の門の近くで焼いていたけど
学校、移っちゃったからね!』
え!
笑顔でそう答えて、たこやきを手渡してくれた。
間違いない
驚いた・・
目の前でたこやきを転がしているのは
あの時のマドンナ なのだ!
頭の中が空洞になった
それ以上の会話はしなかった
できなかった
お釣りを手に取り
たこやきを持って駅に向かって歩きはじめたとき
目頭が急に熱くなった。
歩きながら昔のことをどんどんと思い出した。
人には見せられない、
みっともない
おれになっていた。
ボロボロと大粒の涙をこぼして歩いていた。
『何だよ・・』
『何で泣いているんだよ・・』
自分でもわからなかった
『何をやっているんだろう・・おれ』
夢があった。
もっとでっかい未来があったはずだった。
おかしいな
今の環境を受け入れたはずなのに
何を今更
おかしいな
まだ、
諦めていないのかな
あたり一面がオレンジ色に染まっている
今、
気づいた。
駅に向かって歩く方向は
あの、
研究室から見た方向なのだ。
見上げると
そこには
限りなく
どこまでも広がっていく夕焼けが姿を現していた。
まるで、
オレンジや赤や黄色の絵具を無造作に筆に付け、
一気に塗りたくったような夕焼けだった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
