八事山興正寺(愛知県名古屋市昭和区) | 偽クレモンのブログ

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八事山興正寺は名古屋市の東加減にある1688年創建のそこそこの古刹。尾張徳川家の帰依を受けて繁栄し、現在も全盛時ほどではないとは思うが、1つの丘全体が境内という広大さを誇っている。

 

市中の大伽藍であり、名古屋と長野県塩尻を結ぶ国道153号線沿いで門前は風情も何もあったものじゃない。創建時の門前町はどうだったのかな?古地図を探してみるか。

 

参道の起点には、寺社にしては洒落たデザインの立体駐車場がある。料金は600円だったかな?参拝料はない。

 

参道の向こうに他ではあまり見られない情景を臨む。(山門と思いきや)中門と、その向こう同軸上に五重塔。この伽藍配置を四天王寺式という。大阪の四天王寺が由来だ。塔は大抵は境内の端か、門からオフセットしていることがほとんどで、少なくとも私は四天王寺とここ興正寺でしか’四天王寺式’を目の当たりにしたことがない。

山門(総門)は失われているようで、’ここより浄域’の立て札がある場所にかつては結界たる門があったのだろう。以前に参拝した時の参道のイメージとかなり違うので、その頃は何等かがあったのかもしれない。

 

中門は三間三戸の小ぶりな楼門。二層目に登楼する装置は見当たらない。軒下はシンプルな出組。元々はここ西山と、女人禁制の東山を結界する’女人門’として建てられた。女人解禁(?)後に機能的に不要となった門を中門として流用したとのこと。西山/東山についてはまた後程。

 

中門の奥行は二間ある。かつて女人門だった頃は、おそらく三間一戸で門が設えられていたのでは?という目で痕跡を探せばよかったのだが、あいにく西山/東山や女人禁制のことを知ったのは帰宅後だった。

 

五重塔。1808年建立の国重文。公式サイトでは’屋根の流線がとても美しく’とホザいているが、お世辞にもそうは言えない。江戸後期らしい、強いて言えばブサ可愛い意匠である。真ん前に大仏がドーンと構えているが、引っ越し工事の最中だった。塔の右手にある多宝塔に移設するらしい。

 

組み物は、二手先で和様。中備は間斗束(けんとづか)。江戸後期特有のゴテゴテ装飾がないのは幸いだ。扉には徳川の御紋、三つ葉葵のレリーフが備えてある。

 

中門、五重塔の同軸上にある西山本堂。1751年建立。限りなく宝形に近い寄棟。大伽藍の割に質素な本堂だ。そこそこ広大な丘に建っているので、市中にありながら背後に何も写り込まないのも目出度い。間近で参拝はしたが斗栱は撮り忘れた。この日は他事の空き時間に参拝しているので余裕がなかったのであった。

 

興正寺境内は西山区域と東山区域に分かれている。西山にはまだ複数の堂宇があるが、時間の関係で東山方面に向かう(この時は区域を意識はしていなかった)。西山は民間信仰の場、東山はかつての修行の場で女人禁制なのでった。白蛇抄みたくなったら困るからな。

 

東山に向かう途中にあるエスカレーター。境内の雰囲気を壊さない配慮の意匠。よくやっているとは思うが、境内全体にこの拘りが及んでいるとは言えないのが難点。

 

エレベータを登り切ったところにある圓照堂という名の多宝塔。でも納骨堂なので、意匠は多宝塔でも用途から言うと違う。RC造で、なんか潰れた感じでおせじにも美しいシルエットとは言えない。納骨堂という機能優先でキャパを広くとるためにやむを得ない面もあったりなかったりか?大仏はこの堂宇の前に引っ越すそうだ。

 

東山に向かう参道(?というのか?)。両側に宝篋印塔がずらりと並んでいる。割と厳かな雰囲気。

 

西山/東山を知らないこの時は、この情景を見て’まじっすか?このご時世にまじっすか?’と思ったが、まぁなんか訳があるだろうと調べた結果が、西山/東山の顛末だった。手前の石碑の文字は’女人門’。往時のものかな?後ろの’女人禁制’は明らかに新しいが、わざわざ新調しなくてもよかったのでは?

 

女人門跡を過ぎてもまだまだ続くよ宝篋印塔の道。

 

大日堂。東山の最も高いところにある。所謂、奥の院だろうか。ここの話ではない蛇足だが、奥の院って労力の割にガッカリする場合がほとんどだ。経験上納得の奥の院は、岐阜県関市にある迫間不動尊くらいだ。

 

大日堂の手前にある休憩所。カメヤマロウソクの青ベンチが郷愁を誘う。後ろの建屋はボーイスカウトの詰め所も兼ねているようだった。

 

東山はほとんど森の中。ウォーキングコースにもなっているが、今日は平日でもあり人けはない。写真は右が東山本堂、左は不動護摩堂。車両行きかう音はほぼ聞こえず、市中にあって落ち着く場所だ。以前参拝した時は、隣接する中京大学から合唱が漏れ聞こえてきて、それもまた良かった。

 

サカキの群落。尾張地方でこれほどの群生は目づらしいとのこと。綺麗な林に見えるのは地面をしっかり管理しているから。木材を得るためでもないのに山林に人手を入れる是非は問わない。麗しい景観ではある。

 

東山の山門から市井に出る。興正寺は以上。