とうよう師が選ぶ大衆音楽100選① M.M.誌創刊20周年企画’89 | 偽クレモンのブログ

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去年のスズメの涙の一時金で購入したデジカメを道路に落として壊した~、とほほ~ん。。。はい、というわけで。どういうわけかさっぱり判りませんが、今日から表題を始めます。まず、本企画のレジュメを転用します。

 

<以下、とうよう師筆のレジュメ>

”この100選は、1970年~1980年代の音楽を総括し、’90年代の音楽を予感するためのレコードリストです。従って、’ベスト100’というわけではありません。最初の10選は、1989年の時点での世界のポピュラー音楽の情勢を鋭く反映し、90年代への動きを示す最重要な10枚。その後の50種も現時点での断面図という意図で選びました。最後の40選が、過去20年間の足跡というつもりです。ただし、あまりに常識的なビートルス、ストーンズ等は入れてませんし、ロック以外の’世界の大衆音楽’に重点を置き、なかむらの全く主観で選んだものです。”

 

2024年に1990年代を予感してどうする!という声もあるが、ま、1990からそれほど音楽が良くなってるとは思えないんで。単にとうよう師のお勧めと考えればいいと思います。じゃ、頭からいってみる。

 

〇ウォーターマーク/エンヤ

エンヤは1961年アイルランド出身のシンガー、ソングライター。ルーツであるケルト音楽をベースにしながらも、直ぐにはそれとは判らない独自の音楽性で、特にヴォーカルの録音は100回以上オーバーダビングしていることで有名だった。このアルバムは1988年にリリースされた2ndで日本で大いに注目された。ヒットしたかどうかは知らないが、この頃、日本のTVCMやBGMに盛んに取り上げられ、街中でも頻繁に耳にしたものだ。

とうよう師が強く推していたのも知っていて、当時はちょっと不思議だった。が、相方の推しもあり購入して聴きこんで、ちょっと判った気がした。分厚くメロウなヴォーカル、オーケストラ、キーボード群が耳を包むが、先に書いたようにベースはケルトにあり、クラッシックや映画音楽とは明らかに出所が違う音と気づく。じゃ、’90版ケルト音楽というべき曲をば。

Exile (2009 Remaster) (youtube.com)

バックは極端にメロディ・フレーズを排しているが、ワザとそうしていると思われる。アンサンブル至上の私は、当時それが物足りなく思えたものだが、これはこれで正解なのかな?たぶん、フレーズをいじくりまわしたら五月蝿くなる。エンヤの声の力があるからこその選択だ。

 

続きまして、ラテン語で歌われた曲をば。

Cursum Perficio (2009 Remaster) - YouTube

何故にアイルランド人がラテン語で?といろいろ調べたが、特に深い意味はなく、一説によるとマリリン・モンローが最後に住んでいた家の玄関タイルに書かれていた文字らしい。そのドキュメンターリーフィルムを観たエンヤが所感を膨らませて、(たぶん)辞書首っ引きで書いた歌詞と思われる。Cursum Perficioは’旅を終える’の意。マリリンが死に際に暮らした玄関に合った言葉として意味深だ。それはさて置き、古の舞台音楽のよな印象だが、この曲とて根底にケルトを感じるは私だけか?どこがどうとは言えないが、何言ってんのか判らん人はネットでケルト音楽をいろいろ聴いてから、またこの曲を聴いてみてください。

 

とうよう師のレビューを引用すると、’’ニューエイジ・ミュージックという言葉に酷くうさん臭さを感じていたが、エンヤこそ僕が漠然と求めていた本当のニューエイジ・ミュージックかもしれない”。ニューエイジ・ミュージックという言葉自体が今や死語に近いので具合悪いが、言い換えれば’’ヒーリング・ミュージック”みたいなものだ。日本いうと喜多朗とか。確かにうさん臭い。とうよう師は続ける。”それはまた、正しいポスト・モダン・ミュージックともいえる。こんな音楽が出現しヒットしていることで、’90年代の音楽の地殻変動がいよいよ確かに実感できた”。。物凄い入れ込み様だ。まだ先行きに希望が満ちた大衆音楽界だったのだろう。それが20年以上経過しても一向に上向かない業界に呆れ果て・・・ってところかな?

 

第一回目はこれくらいで勘弁しとくか。じゃ、酒買いにいってくる。デジカメどうしようか・・・