「無思想の発見」を読んで→ 日本型ブランディング1 | Cleat からのメッセージ

「無思想の発見」を読んで→ 日本型ブランディング1

それでは、日本メーカーはどのようにしてブランド化に取り組めばよいのだろう?
養老氏は、日本人は思想や宗教の代わりに「世間」を善悪の基準としているという。
 では同様にブランドを世間との関係おいて作るべきか?といえばそれも違う。 そんなものがブランドとして、輝くことはありえないし、第一どうしたらよいかわからない。 ブランドの約束・価値を、顧客や社会と共有化しつつ形成するというのも実に日本的に思うが、はたしてそれが「ブランド」と認識されるのかと言えばそれもちがう。
 信用という意味で言えば、それは正しいと思う。しかしそのやり方ではパワーブランドと言われる域にまで達しないようにも思う。

創業から30年以上が過ぎ、知名度もあるメーカーはすでに、世間に知覚品質が形成されきっている。 知覚品質などと難しい言葉を使ってしまったが、簡単に言えば「その会社の格」を意味する。 トヨタはトヨタの、ソニーはソニーの、三越は三越の、それぞれ「格」を形成している

それはまず変わらない。 その会社を知っている人が稀になれば変えようがあるものの、知られているうちは変わらない。 ブランド戦略を行う会社はそれを知っていながら、それを認めたがらない場合が多い。 ゆえに会社をブランド語録でやたら飾りつける。

中には確かにその会社を表現するに相応しい言葉があったとしても、それは今まで書いてきたように「思想のような言葉」でなりたっているため「どうも嘘っぽいんだよなあ」あつかいされ、無視されるもしくはバカにされる。

私の考えはこうだ
無理して、すでに有名になったブランド(主に社名と同じ)の知覚品質を向上させようとしない。 ましてや多くの言葉(ブランドビジョンとか、ブランドスローガンとか)を表にさらけ出さないことである。