「無思想の発見」を読んで4 | Cleat からのメッセージ

「無思想の発見」を読んで4

今回ご紹介しているこの本は、あまりに多くのことが日本型ブランディングに使えることばかりであるものの、ブランドについて書かれた本ではないため、引用すべきところがここかしこに散らばっている。 そこから必要なものを抜き出して日本のブランド事情と重ね合わせる作業をしているため、こうしてやたらと引用が多くなってしまう。 今回も多くが引用となるが、ご勘弁いただきたい。
 前号は言葉にならないだけではなく、「思想なんてものはない」と思われている思想について書いた。(というか抜書きした) 今回はそれと宗教もかなり似た状況であることを(抜き)書きたい

(以下抜粋)

無宗教と言う宗教
 宗教については、阿満利磨氏の『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)がある。阿満氏は日本人は信心深いという。初詣もそうだし、お盆に故郷に帰るのもそうである。要はそれを宗教だと思ってないだけだという。そして宗教を創唱宗教と自然宗教に分類して、日本人は自然宗教を信じているのだとする。「創唱」宗教とは、誰かが「創って」「はじめて唱え出した」宗教という意味で、つまりキリスト教やイスラム教のように、特定の教祖がいる宗教である。逆に「自然」宗教とは、大自然を神として拝む宗教というわけではなく、特定の教祖のいない宗教なのである。「人為があまり加わっていない」宗教といってもいい。つまりこの場合の「自然」宗教とは、「自然に発生した」宗教、つまり「ひとりでにそうなった」宗教の意味であろう。もちろん両者の境界は厳密なものではない。阿満氏はこの区分のあいまいな例として、神道を挙げる。歴史上、一部のひとたちが神道を意識的に考え、変えようとしてきたことは明らかだからである。
「日本人はなぜ無宗教か」、それを問うのだから阿満氏は「日本人は無宗教だ」と認めているようだが、結論はむろん違う。「宗教はあるが、それを宗教だと思っていない」というのである。それなら語の定義の問題だろう。そう思う人もあろう。言葉の定義と言う一般的な問題はともあれ、阿満氏は「日本に宗教はある」といわれたわけである。それで当然で、なぜなら宗教のない社会は、いまのところ知られていないからである。それなら自然も同じであろう。


宗教とブランドの関係が密接であることを説いた本は少なくない。 イコンはアイコンと同義であり、ブランドの象徴となるマーク等はキリスト教における十字架と同じ意味合いを持つ。
 この記述で面白いのは、ブランド先進国であるヨーロッパ、アメリカは創唱宗教であるキリスト教がマジョリティーの国々であり、日本は自然宗教であるという点である。

日本は思想としてブランドを語ることも苦手だし、教祖をたててブランドを作ることも得意としていないということが、前回と今回の抜粋には書かれている。何も養老氏の言っていることが正しいと言っているのではない。 ただしこの視点で日本発のブランドが成り立ちにくく、海外ブランドもしくは逆輸入型ブランド(日本人が海外で成功して、日本に逆上陸するブランド。ケンゾーはその代表格?)であればすんなり皆受け入れてしまうのと、筋が合っているのは確かだ。

(以下次号)