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正しい電気供給量と電気料金(2) 適切な電気料金

正しい電気供給量と電気料金(2) 適切な電気料金

外国からも電気が輸入され、公正取引委員会が監視し、正当な競争が行われていたら、電気料金は公平な競争のもとで自然に決定されますので「適切な電気料金」などを議論しなくても良いのですが、日本は島国で外国からの電気の輸入はできず、独占的環境で電気が供給されていますので、適切な電気料金を決めなければなりません。

これまで政府と電力会社で電気料金を決めてきたのですが、これは「仲間内」の協議のようなもので、政府(官僚や政治家)も電力会社も電気料金が高い方が良いので、少しずつ高くなっていきました。そこで、今回、原発事故をきっかけにして日本の電気料金が奇妙な規則(コストで売値を決める)によって決まっていることも知られるようになりました。

自由な社会で「競争がなく、コストがかかったらそれで売れる」というような商品はもともとないのですが、電力はその特殊なケースです。従って「原発を止めると石油を買わなければならないから」というようなことで電気料金を決めると「コストがかかればそれだけ高くなる」という罠にはまってしまいます。

これを防ぐためには類似の産業を比較対象とすることで、たとえば鉄鋼業と電力業を比較します。

最終製品を見ると鉄鋼業は鉄、電力業は電気ですから全く別ものですが、製造方法はほとんど同じです。鉄鋼業は石炭を買ってきて溶鉱炉で燃やして鉄を作ります。この場合、原料となる鉄鉱石から鉄になる「物質の流れ」は「賃加工」としてみれば考えなくても良いものです。

これに対して電力は同じく石炭を買ってきて発電所で燃やして電気を作ります。だから、コスト構成は鉄鋼ときわめて類似しています。日本の鉄鋼は約9000万トン生産し、その約4割を輸出していますが、輸出競争力は充分です。

従って、鉄鋼が国際価格で商売をしているので、電力も国際価格で販売できるというのがこの場合の基準になります。従って、日本の家庭用電力料金は国際価格の2倍です。また、原発をやるかどうかは国際価格には関係がありませんし、原発の廃炉、安全性や廃棄物を含めてのコストであることも当然のことです。

従って、「適正な電力料金は国際競争力のあるものであり、それは現在の2分の1程度」というところから出発する必要があります。

原発の廃止に伴って電力料金が上がるという計算がありますが、内容を見てみると「コスト」からスタートしています。コストからスタートすると、日本の電力会社のように、設備の発注は市場価格の2倍で、燃料の買い付けも市場の2倍でというような放漫経営ですから、高いコストがかかっています。

産業界に少しでも身を置いた人ならわかりますが、時として「そんなコストで本当にできるの?!」ということが起こるのですが、なんとか頑張っているうちに数年前には考えられないほど安く製造できるようになるものです。日本の鉄鋼が世界に通用するのは、そのような厳しい競争環境を切り抜けてきたことによります。

このように鉄鋼生産などから「基本的に適正な電力料金」をまず決めて、それからスタートしないと電力料金が高く、それは日本の発展に大きな阻害要因になるでしょう。この問題を抜本的に解決するのは「適正な競争環境」であることは、先日アップした「正しい電力供給量」でも同じ事が言えます。

「tdyno.191-(7:49).mp3」をダウンロード











中部大学武田邦彦
(平成24年7月20日)

正しい電気供給量と電気料金(1) 適切な電気量

正しい電気供給量と電気料金(1) 適切な電気量

日本がどの程度の電気を使い、どのぐらいの電気料金であるべきかというのは日本の将来を考える上でとても大切なことです。

電気は自動車、テレビ、そして家屋のように「生産するもの」ですから、原則的にはその国が求めているだけ製造会社は供給するのが正しいと言えます。


まず、第一に適切な電気の量ですが、

1)ノーマルな経済の原理によって国民が求めるだけ供給する(正常な需要供給)

2)国策によってやや過剰に供給する

の2つがあります。


まず第一に国民が産業や快適な生活を送る上で、電力の生産を担当している電力会社は、需要を充分に満たす電気を供給するということです。これはきわめてノーマルなことで、自動車が欲しいけれど買えない、テレビが欲しいけれど買えない、トイレットペーパーが必要だが不足しているという状態は、やや供給力が過剰な日本のような生産規模の国家では考えられないことです。

むしろ不足する状態になるのは「供給会社の経営責任」でもあります。内需拡大の必要性が強調されたのは今から30年前。政府も経団連も内需拡大の基本方針に意義を唱えたことはありません。

そして内需を拡大するためのもっとも基礎的なものは国民の活動量を増やすことであり、それは日本の発展に結びつき、景気を良くし、若者に適切な仕事を与えることになります。

でも、電力のようなものは国民の活動を活発にするために政府の政策でやや過剰に供給するということも必要です。つまり日本の発展のためには電力を充分に供給することが大切だからです。

このような正常な電気供給量の判断に対して、現在は「電気の消費量を減らそう」、「国民の生活の質を落としても節電」などと言われ、それが識者に支持されているのは驚くべき事です。

原発の事故の原因がどこにあろうと、それを含めて製造会社の供給責任ですから、「節電」は日本国のためにならず、景気を悪化させ、日本の将来を暗くし、正常な経済活動を阻害し、電力の経営失敗を国を挙げて許すということになります。

それでは具体的にどのぐらいの電力供給が適切かというと、一応、アメリカの供給力が参考になるでしょう。

アメリカの電気出力は8億キロワットで、国民一人あたり2.7キロワットです。日本人の人口は1億2400万人ですから、アメリカ並みの電力を供給すると3億3000万キロワットになります。

現在の日本の電気出力は1億8000万キロワットですから、まず第一に日本の産業界がしなければならないのが、電気の製造量を1.8倍に上げることです。これを国民側から見ると、「節電」どころかむしろ電気を今の1.8倍使うのが適切ということになリます。

さらに原発の稼働、および増設をしないとすると、1億2000万キロワット程度に落ちますから、現在の2.8倍程度の発電をすることになります。

この計画を本気になって日本の産業界が始めたら、需要はグンと伸び、景気は回復し、日本人が将来に夢を持つことが出来るようになるでしょう。これまで数限りない利権側からの宣伝(節電)の意識を変えて理性的に考えるのはかなり大変とおもいます。

でも、電気やエネルギーの節約はその国の没落につながりますから、私たち大人の責任として原点に戻って冷静沈着によくよく考えてみる必要があります。

「denki1tdyno.189-(9:03).mp3」をダウンロード











中部大学武田邦彦
(平成24年7月20日)

市も教職員も警察も事なかれ主義で隠蔽体質

地方行政で一番問題なのは、議会と公務員組織が一体化してしまって、直接選挙で選ばれた市長が孤立してしまう事です。阿久根市の竹原市長と阿久根市役所の公務員組合との騒動などに触れたことがありますが、市役所組合と市議会が一体化してしまって、赤字財政でリストラを進めようとする市長と対立してしまった。



このような構図は、名古屋市や大阪市や横浜市などにも見られましたが、赤字財政であるにも拘らず市議会と市役所はお手盛りで給与を上げていって、地元住民との所得格差が広がってしまった。これに対して市役所組合などは市長スキャンダルを持ち出して失脚させる戦術を取る。横浜市の中沢市長もそうだし、大阪市の橋下市長にも市長スキャンダルが週刊誌に派手に書かれた。



市長と市議会とは構造的に対立する事はよくありますが、一番力を持っているのは市役所組合であり、そこの役人達は市議会議員選挙や市長選挙などにも関与して影響力を拡大して来た。本来ならば市の職員たちは政治活動は禁止されているはずですが、組合は市庁舎内に事務所を持って組合専従職員までいて活動している。



地方議会では、地元との結びつきが強いから市長には大胆な改革を行なう市長を選んでも、市議会議員は顔なじみのある議員を選んでしまうから、市長の改革に対して対立が起きやすい。しかし赤字財政をいつまでも続けるわけには行かないから、リストラを公約に掲げる市長はこれからも続出するだろう。しかし大阪市や横浜市など大きな市は数万人もの公務員の抵抗に遭って潰されてしまう。



大津市の越直美市長も、そのような改革派市長として期待されて選ばれたのでしょうが、腐敗した市の教育委員会や教職員組合などの腐敗した体質に手を出しかけていたが、今回のような「いじめ自殺」事件が起きた。市の教職員も教育委員会も生徒からのいじめに対してみて見ぬ振りをして放置されて来た。市の警察に被害届を3回も出しても受理されなかった。



市も教職員も警察も事なかれ主義であり、隠蔽体質で自殺事件が起きてから半年もたってから、裁判などで実態が明らかになるにつれて日本中で大騒ぎになった。市立中学ではいじめを見かけても生徒同士のふざけあいに受け取ったと言う事ですが、アンケート調査ではそうではないようだ。担任の教師も校長も見て見ぬふりをする体質は市全体にあるのだろう。



越市長は一体何をしてきたのかということですが、市長一人ではどうにもならないだろう。市議会や市の役職員を意識改革するにしても、市議会や市の労働組合や教職員組合の腐敗した体質はどうする事もできない。彼らは自己保身で固まっており、大阪府労働組合と橋下市長の団体交渉は非常にタフな市長でないと交渉も出来ないだろう。



市長が実行力を発揮するには、市議会や市の職員達に味方の勢力が出来ないと何も出来ないだろう。大阪市なら「維新の会」とか名古屋市なら「減税日本」などの市長派の会派を作らなければ法案は一つも通らない。民主党も自民党も相乗り市長が多いから改革派市長などを応援する事はないだろう。市の労働組合と言う組織に乗っかっていたほうが市長として楽だろう。



しかし市の腐敗は、一番弱いところがら出るのであり、市立中学校の「いじめ自殺事件」は半年も封印されて来た。公務員はクビになる事も無く待遇もいいから、事なかれ主義で過ごせばいいのかもしれない。市の教育委員会も市立中学の校長もまさに事なかれ主義であり、いじめそのものを認識していなかった。いじめらた生徒は担任の教師からも見放されて孤立して自殺しましたが、これと同じような事件は日本全国の学校に蔓延している事だろう。



阿久根市の例を見るまでも無く、市議会や市の労働組合によって竹原市長は潰されましたが、横浜市の中田市長もスキャンダルで潰された。野田総理にしたって叩けば埃が出るのは変わりが無く、財務省の言いなりにならざるを得ない。巨大な行政組織は強大化しやすく政治家もどうする事もできなくなり、既得権者たちによって改革は阻止されて赤字財政は手が付けられない。だから高すぎる公務員の給与カットも出来ない。