あなたの保険大丈夫ですか?将来の年金支給額知ってますか?直ぐに計算出来ますよ -243ページ目

地方活性化の基本的な考え方

地方活性化の基本的な考え方

群馬県に富岡市というところがある。明治は世界に冠たる製糸場があって名をはせたところだが、すこし地味なのであまり話題にはのらない。交通で言えば高崎から碓氷峠に向かう途中であり、場所で言えば妙義山の麓だ。

明治5年に富岡製糸場ができたとき、明治政府は次の3つの制限を設けた。

1) 指導者は外国人に限る、

2) 製紙機械は外国製に限る、

3) 女工は日本各地からの日本人女性に限る、

実に簡素で正直である。明治維新から5年。まだ正直に事実を直視しなければすぐ外国に占領される危機を感じていた時代である。この富岡製糸場は日本の生糸の生産工場として、また日本中の製糸の技術の普及、技術者の養成に力を発揮した。

明治からすでに150年が経とうとしているが、この富岡製糸場の歴史は、今の私たち、特に地方の活性化に多くの教訓を与えてくれる。

簡単に言えば「地方活性化の五原則」が見える。

1) 「乞食」はダメ

2) 「自分たちにも」はダメ

3) 「時代の先端」でなければダメ

4) 「正直、事実」でなければダメ

5) 「子供たちのため」でなければダメ

日本の法律に「乞食は禁止。罰金1万円以下」というのがあることを最近知った。そういえば憲法に「勤労の義務」という規定があるが、一人一人はともかくとして、日本人全体を考えると誰かが働いてコメを作り、ほうれん草を育て、豚舎や鶏舎を経営し、工場を運転し、子供を教育しないと日本は立ちゆかない。「勤労」が国民の義務であり、乞食は罰せられるのも当然かも知れない。

乞食の典型的な例が「原発交付金を狙って原発を誘致する」ことである。「原発を誘致して日本のエネルギー確保に貢献し、合わせて関連企業の育成を図る」というのは正しい。似て非なるものである。しかし、お金は魔物だ。ひとたび何もしないでお金を手にすると、そのうま味は到底、理性では克服できない。会社の金でただ飯を食い、お得意さんに接待を受けていると、やみつきになるのは世の常である。

原発交付金を受け取った地方は、その交付金で新しい産業が起きたり、その地方の人の力があがることはないと言われている。交付金はまるで痲薬のように人の心をむしばみ、歯を食いしばっても新しいものを生み出していくなどということはできなくなる。乞食はダメだ。

「自分たちにもできること」は危険だ。かつて私が世界と競って研究をしていた頃、手を焼いたのが「低度の独創性」だった。「世界で初めてです!」と研究者がいうものの、「確かに誰もやっていなかったことではあるが、レベルが低い」のである。そんなものを採用していたら競争には勝てない。あまり良い例が浮かばないが、独特のフォームで投げる(野球のピッチャー)のだが、打たれてばかりいるというような感じだ。独自は独自だが、通用しない。

人口が10万人ぐらいの市で、「独自で世界に通用する」というような技術やビジネスが誕生するのは難しい。そこにいる人に問題があるのではなく、人の力というのは、「人の数×人の数」と言われる。つまり1人が10人になれば、力は{10×10=100}になる。

だから、大国の方がオリンピックなども金メダルを取る人が多い。その点では人口10万人ぐらいの市ではなかなか世界に冠たる仕事を始めることは難しいので、やはり「他人の力」を借りた方が良いが、その時「乞食にならないこと」、つまり他人の力は借りるが、お金は貰わないことが必要だろう。

また、次の時代の先端も同じだが、明治5年には生糸だったが、今ではクラウドとか、巨大ドームなどだから、狙いを定めることも必要だ。眼力はいる。

そして、なんとしても「子供ために」、「大人は正直に、誠実に、事実を見る勇気」が条件だろう。「子供のために」というのは、「今の生活を豊かにするためにお金を貰う」ということはほとんど「子供のために」にはならない。だから「子供のために」を意識することで自然に未来に向かう。人間は未来に向かうと上昇し、今を大切にすると下降する。

ともあれ、富岡青年会議所の若きメンバーは熱く燃えていた。

「takeda_20110921no.149-(3:05).mp3」をダウンロード

中部大学武田邦彦
(平成23年9月21日)

【チカン冤罪】 市民運動家はこうして逮捕された~実名報道・後編

 パトカーが到着し、6~7人の警察官が駅のホームに着いた。私服警察官が「事情を聞かせろ」といきなり迫った。「なぜ?」と矢野さん。ホーム上で押し問答が約20分間続いた。
 平行線が続いたところで私服が「任意同行で事情を聞かせて下さい」とダメを押し、矢野さんはパトカーに乗せられ成城警察署に連行された。時計は12時を回っていた。
 署に着くと取り調べ室に。警察官が矢野さんの肩を小突き「入れ」。取り調べ室は広さ4畳半ほどだった。本田と名乗る刑事(階級は巡査)が「お前はもう逮捕されてるんだ」と告げた。
 矢野さんは「じゃあ逮捕状とれ」と言い返したが、逮捕状執行の宣言もないまま手錠をはめられた。「やっただろ」「やってない」。本田刑事と矢野さんとの攻防が4時間ほどあった。午前5時、矢野さんは留置場に移された。夜も白みはじめていた。
 「救援センター」の弁護士に連絡がついたのは午前9時30分。弁護士が矢野さんと接見できたのは午後4時だった。矢野さんが成城署に連行されて16時間が過ぎていた。
 弁護士は「何日か留置されるだろう。全くの黙秘でなく事実だけ話して下さい」と矢野さんにアドバイスした。
 翌17日、矢野さんは東京地検に送られた。取り調べたのは山本剛検事。山本検事は「警察調書の通りですか?」と聴いてきた。「私は何もしていませんので、すぐに釈放して下さい」、矢野さんは即座に答えた。
 検事:「一応、被害届が出ていますので、(裁判所に)拘留申請をします。もし釈放されても呼び出しには応じてくれますか?(それにしても)あなたの不注意だった」。
 矢野さん:「じゃあ、あなたは車内でどうしてるんですか?」。
 検事:「僕はリュックサックをしょって必ず両手を上にあげている」。
 漫画のようなやりとりだった。夕方、成城署に戻った。

 翌18日、拘留尋問のため東京地裁へ。
 裁判官が「検事調書の通りでよろしいですか?」と聴いてきた。調書は「容疑否認」となっていたので、矢野さんは「大体その通りですが、すぐに釈放して下さい」と答えた。
 裁判官が矢野さんに次のように要請した。「誓約書に署名して下さい。『事件が終わるまで京王線には乗らない。裁判所、検察、警察から呼び出しがあったら応じる』」。
 裁判官は続けた。「署名してくれれば検事からの拘留請求を却下します」。裁判所が拘留を認めなければ、検察は容疑者の身柄を拘束できない。
 矢野さんは署名した。午後3時過ぎ、弁護士が裁判官に掛け合った。釈放が決定する。午後9時過ぎ、矢野さんは晴れて自由の身となった。成城警察署に連行されて以来、3泊4日の留置場暮らしだった。
 7月末には不起訴が決まった。6月18日に釈放されて以来、警察、検察、裁判所からの呼び出しはなかった。身に覚えのない「チカン冤罪事件」の幕切れだ。
 「脱原発デモ」「PC監視法案反対の座り込み」「記者クラブ解体デモ」……リーダーの矢野さんは、体制側にとって目障りな存在だ。京王線の電車の中でチカン冤罪に嵌めようとしたのは公安警察なのか。それとも単なる示談金目当てのグループだったのか。
 拘留尋問にあたった山本検事の言葉が、今も矢野さんの頭に残っている。「どうして女性はあなたの手をつかんだと思いますか?最初からあなたを犯人に仕立てあげようとしたのか、(真犯人と)間違ってあなたの手を握った可能性もあります」。
 拙稿の前編でも述べたが、女性が声をあげると数秒もしないうちに男4人と女1人が矢野さんを取り囲んだ。痴漢冤罪に嵌めるのに不可欠な実行グループの連携プレーだ。
 警察に「認めたら帰してやるから」とそそのかされて、認めてしまったらお終いだ。会社員や公務員は表沙汰にしたくない一心で、つい認めてしまう。矢野さんは自営業者だったので、最後まで突っぱねることができた。
 チカン冤罪は、誰もが嵌められかねない。身に覚えがなかったら断固として否認を続けることである。
 嵌められないためにはどうするべきか。先ず、酒を飲んだら電車に乗らないことだ。動きが鈍くなるし警戒感も薄れる。嵌めやすくなるのである。もうひとつ山本検事が励行しているように、車内では必ず両手を上げることだ。
 事件以降、矢野さんは酒を飲んだ時はサウナに泊まるか、タクシーで帰宅することにしている。「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」である。

学問で判っていること

学問で判っていること

研究者として若く、夢の固まりだった私。物理学を勉強した当時の私はこの世のことは何でも判っているように思っていました。そして科学はその知識を使って「創造的なこと」ができると錯覚していたのです。

40歳ぐらいになった時でしょうか。私の恩師の増子昇先生が「学問は本来、整理の学、解析の学なんですよね」と言われました。ヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」という文章を覚えたのもその頃だったと思います。それとほとんど同じ内容の文章をある読者の方から送っていただきました。

「いずれにしても、自然現象に関する研究は起こってしまってから解説するのが精一杯で、因果関係を解明できるほど発達していない。生物学と同様、わからない方がよほど多いのである。自然現象は常に連鎖反応を起こしながら進行するので、予測不能なことが多い。これから一体何がおこるのか、正確にわかっている人は誰もいないだろう。」(小林真「菌と世界の森林再生」)

まさに学者が心の底から感じていることを正面から書いておられます。学問は未来に対して無力です。せいぜい「過去のことを必死になって説明する」ことができるだけです。それが人間の頭脳の限界なのでしょう。

ところでそんな学問から見て、地球温暖化はどのように見えるでしょうか? 私はなぜ「CO2は出した方がよい」と言っているのでしょうか?少し解説をさせていただきます。

地球温暖化は予防原則の問題です。科学的には不確かだけれど、重大で致命的な結果が予想される時には科学の結果を待たずに規制するということです。地球温暖化にこの原則を適応するのが適当かどうかは次の判断によります。

1) 気温が変化することが重大で致命的か? 

2) どのぐらいの温度範囲は重大で致命的か?

3) 気温は下がる方が致命的か、上がる方が致命的か?

4) 地球の気温は人間の活動で左右されるか?

第一の設問に対しては「変化の幅が問題」と言うのが正解でしょう。そしてその幅(第二設問)は2,3℃ならそれほど大きな影響はありませんが、10℃となると間氷期と氷期の差ですから、これは問題ということでこれも学者の間で一致すると思います。

問題は第三設問で、意見が分かれます。1970年代までの多くの学者と私の考えは、現在の地球が地質学的には氷河時代の間氷期であることと、新生代(恐竜が滅んで以来)に入って気温が低下し続けていることから、寒冷化が致命的と考えています。今より気温が下がると日本などは一部が氷河に覆われ、作物が採れなくなり大量の餓死者がでると思われるからです。

温暖化が怖いという人の意見はかなり広く伝わっていますから、ここでは割愛します。

また、気温は、1)太陽活動、2)都市化、3)CO2 で決まりますが、現在はそれぞれ3分の1ぐらいでしょう。太陽活動は500年ほど前の「小氷河期」から徐々に活発になって来ていますが、今後50年程度で下降に向かうでしょう。CO2は人間が出せば増え、控えれば増大の幅は減少すると考えられます。

・・・・・・・・・

以上のことを考えて「学問は未来が判らない」ということと、「予防原則」を適応すると、問題なのは現在より気温が上がった方が危険か、下がった方が危険かというところにもっとも大きな別れ道があると思います。私は「世界の多くの学者は冬の前にいる」と考えていると思っています。それはこれまでの気温変化とCO2の変化からあまり考えずに推定するとそうなるからです。だから寒冷化に備えて今は温暖化するべき時期という結論になります。

仮に温暖化しても、今より気温が高かった時期が多いのですから、地球がどうなるということはありませんが、寒冷化するとアフリカの一部を除いて氷河になることは判っているので、そちらの方が危険です。

今回の被曝では、1年100ミリ以下は不明なのですから、被曝量を減らして(1年1ミリを貫く)、学問の不備を補わないといけないと思っています。1年1ミリを守るのは、「除染、疎開」で可能だからです。

「takeda_20110919no.149-(6:25).mp3」をダウンロード

中部大学武田邦彦
(平成23年9月19日)