「よい子」の研究(3) 「ためにする」人生を送る人たち
「よい子」の研究(3) 「ためにする」人生を送る人たち
大学に勤めている先生で、「学問が好きだから先生になっている」という人と「教授になりたいから」という人の2種類の人がいます。私の経験では、その比率は「学問が好き」と「教授になりたい」がほぼ同数のような気がします。
会社から大学に移った私は「大学は学問の好きな人がいるところ」と思っていたのですが、大学に入ってしばらくすると、それは全く見当違いであったことを知りました。
「学問が好きだから一所懸命、研究をしていたら、その業績が認められていつの間にか、教授になっていた」という人生の方が、私はまともなように思います。「教授になるために」ということになると、データの出やすい研究、国の方針に合致してお金がもらえる研究、ボスから声をかけられた研究などをすることになり、それは結局、日本に損害を与えていますし、学生にも良い影響をもたらしません。
「ためにする」というのは、何かのことをするときに「下心」があることを言います。今から10年より少し前のことですが、「リサイクルはしてはいけない」という本を出したら、「安井至」という名前のよく知らない人がブログで「名もない私立大学の先生が名前を売りたいばかりに、いい加減な本を出した」という激しい批判をしていることを知りました。
よく調べてみると、東大教授だったので、ビックリして弁護士さんに相談し、安井至という人に抗議文を出しました。「学問的にいって、リサイクルは資源の浪費になるし、エントロピー増大の原則に反するからリサイクルをしてはいけないと考えたので本を書いたが、社会に影響のある東大教授がどのような理由で武田が売名のために書いたということが判るのか」という内容です。
その返事は「私は東大教授だが、ブログは東大教授の立場で書いているのではない。個人的なブログだ」というものでした。よく調べてみると、この安井至という人は国のリサイクルの研究統括者で、国から多くのお金を貰い、そのブログも環境関係の人には有名で、もちろん多くの人が東大教授として参考にしていることもわかりました。
後に、安井至という人は、ダイオキシンを研究していた東大の遠山教授に「そんなこと言ったら財務省に睨まれるぞ」と発言して、ネット上で論争になったことがあります。その後も私が本を出して、それがたまたまヒットすると「お金もうけのため」などと私に対する批判を続けています。
・・・・・・・・・
売名のために本を書いたり、財務省にゴマをすって研究費を貰う学者もいるとは思いますが、私や遠山教授が「ためにする」ことをしているかどうか、安井至という人がなぜ判ったのか、それが不思議です。
人間がこの社会で生きていくとき、「ためにする」のではなく、「自分の仕事に誇りを持って」、「自分の生き甲斐」、「天職」、「世のために」というように「下心」を持たずに、そのもの自体に夢と希望をもってやることが、日本全体にとって良いと思います。
今回の原発のことで「御用学者」が多く出現しましたが、そもそも「御用」とは「国の良いように」という意味ですから、「ためにする」人の典型的なものと言えます。東大教授の多くは「勉強が好きだから、勉強している内に東大に入った」のではなく、「東大を目指して嫌いな勉強をして東大に入った」という人が多いので、もともと「ためにする」ことが慣れた人でもあります。
最近、「原発を止めるべきではない」と言っている人をグループに分類した論文を読みましたら、その多くが「ためにする」人たちのようです。たとえば、「原発を持たないと核兵器が作れない」、「反原発の人たちは左翼だから、嫌いだ」という類で、本当に心から「原発は安全だから、次の原発は東京の多摩川、名古屋の木曽川の上流、琵琶湖のほとりに作ろう」というのではないのです。
原爆が必要だから原発を継続するなら、そのようにそのまま意見を言うべきです。日本には言論の自由があるのですから、原爆が必要だと言っても牢獄に入るわけではありません。また、反原発の人が嫌いなら「原発は危険と思うが、反原発の人に威張られてはかなわない」と正直に言うべきです。
私のメールにも「武田先生は・・・ことを考えているのですか?」という質問をいただきますが、私は「考えの根拠になっているものは、明確に示す」ということで、「心に思っていても、言わない」とか、「書いたこと以外に主要な理由があるけれど、言うと具合が悪いので控える」ということはまったくしていません。
私が「原発は地震で倒れる」と言えば、それは科学的に見てそう思っているからですし、「4号機のことですぐに逃げなくてもよい」としているのは、それが科学的に正しいと思っているからです。何かの利害得失、周囲との関係などを考慮することはまったくありません。
幸い、私は幸運にも恵まれて、これまで「ためにする」ことをせずに人生を送ってきました。でも、ほとんどが誤解されてきました。一所懸命働けば「出世のためだろう」といわれ、大学で遅くまで管理の仕事をしていると「学長を狙っている」(私は大学に移ったとき、本当に教育は大切と思い、おもしろかったですし、一所懸命やっただけだったのですが)と勘ぐられ、原発が危険になり「原発は危ない」と言い始めると(2006年)、「寝返った」と言われました。
リサイクルが資源の浪費になると発表したときには、「損をするのに、なんでそんなことを言うのか」と言われました。でも、「ためにする人生」、「損得を考えた行為」は周りの人に不信感を与えますし、自分自身も心理的な負担があるので、決して、「得」にはならないと私は思います。
どうもいろいろ考えてみると、「よい子」の出現は「ためにする」仕事をしているからではないかと思います。たとえば、朝日新聞が戦前は「野球排斥」といい、戦後は「野球歓迎」になったのは、それぞれその時代のよい子になるためにとった態度ではないかと思うのです。
もし朝日新聞が「事実を報道する」ということなら、記事や編集は一貫していると思うからです。現在でも報道の揺れ、御用学者の出現などの社会の混乱は「よい子」になること、それは「ためにする言動」がその根底にあるように思います。
この世のことですから、「ためにする」のが無くなることは期待できませんが、その比率を少しでも減らし、また東大教授のような人は、才能に恵まれているのですから、本当に学問だけを考えて行動しても生活に困ることはないと思います。
今回の福島原発の事故からすこしでも教訓を得て、被曝した子供たちにすまないという気持ちを持って、透明性の高い、「ためにする」言動をしない社会に近づけたいものです。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月27日)
大学に勤めている先生で、「学問が好きだから先生になっている」という人と「教授になりたいから」という人の2種類の人がいます。私の経験では、その比率は「学問が好き」と「教授になりたい」がほぼ同数のような気がします。
会社から大学に移った私は「大学は学問の好きな人がいるところ」と思っていたのですが、大学に入ってしばらくすると、それは全く見当違いであったことを知りました。
「学問が好きだから一所懸命、研究をしていたら、その業績が認められていつの間にか、教授になっていた」という人生の方が、私はまともなように思います。「教授になるために」ということになると、データの出やすい研究、国の方針に合致してお金がもらえる研究、ボスから声をかけられた研究などをすることになり、それは結局、日本に損害を与えていますし、学生にも良い影響をもたらしません。
「ためにする」というのは、何かのことをするときに「下心」があることを言います。今から10年より少し前のことですが、「リサイクルはしてはいけない」という本を出したら、「安井至」という名前のよく知らない人がブログで「名もない私立大学の先生が名前を売りたいばかりに、いい加減な本を出した」という激しい批判をしていることを知りました。
よく調べてみると、東大教授だったので、ビックリして弁護士さんに相談し、安井至という人に抗議文を出しました。「学問的にいって、リサイクルは資源の浪費になるし、エントロピー増大の原則に反するからリサイクルをしてはいけないと考えたので本を書いたが、社会に影響のある東大教授がどのような理由で武田が売名のために書いたということが判るのか」という内容です。
その返事は「私は東大教授だが、ブログは東大教授の立場で書いているのではない。個人的なブログだ」というものでした。よく調べてみると、この安井至という人は国のリサイクルの研究統括者で、国から多くのお金を貰い、そのブログも環境関係の人には有名で、もちろん多くの人が東大教授として参考にしていることもわかりました。
後に、安井至という人は、ダイオキシンを研究していた東大の遠山教授に「そんなこと言ったら財務省に睨まれるぞ」と発言して、ネット上で論争になったことがあります。その後も私が本を出して、それがたまたまヒットすると「お金もうけのため」などと私に対する批判を続けています。
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売名のために本を書いたり、財務省にゴマをすって研究費を貰う学者もいるとは思いますが、私や遠山教授が「ためにする」ことをしているかどうか、安井至という人がなぜ判ったのか、それが不思議です。
人間がこの社会で生きていくとき、「ためにする」のではなく、「自分の仕事に誇りを持って」、「自分の生き甲斐」、「天職」、「世のために」というように「下心」を持たずに、そのもの自体に夢と希望をもってやることが、日本全体にとって良いと思います。
今回の原発のことで「御用学者」が多く出現しましたが、そもそも「御用」とは「国の良いように」という意味ですから、「ためにする」人の典型的なものと言えます。東大教授の多くは「勉強が好きだから、勉強している内に東大に入った」のではなく、「東大を目指して嫌いな勉強をして東大に入った」という人が多いので、もともと「ためにする」ことが慣れた人でもあります。
最近、「原発を止めるべきではない」と言っている人をグループに分類した論文を読みましたら、その多くが「ためにする」人たちのようです。たとえば、「原発を持たないと核兵器が作れない」、「反原発の人たちは左翼だから、嫌いだ」という類で、本当に心から「原発は安全だから、次の原発は東京の多摩川、名古屋の木曽川の上流、琵琶湖のほとりに作ろう」というのではないのです。
原爆が必要だから原発を継続するなら、そのようにそのまま意見を言うべきです。日本には言論の自由があるのですから、原爆が必要だと言っても牢獄に入るわけではありません。また、反原発の人が嫌いなら「原発は危険と思うが、反原発の人に威張られてはかなわない」と正直に言うべきです。
私のメールにも「武田先生は・・・ことを考えているのですか?」という質問をいただきますが、私は「考えの根拠になっているものは、明確に示す」ということで、「心に思っていても、言わない」とか、「書いたこと以外に主要な理由があるけれど、言うと具合が悪いので控える」ということはまったくしていません。
私が「原発は地震で倒れる」と言えば、それは科学的に見てそう思っているからですし、「4号機のことですぐに逃げなくてもよい」としているのは、それが科学的に正しいと思っているからです。何かの利害得失、周囲との関係などを考慮することはまったくありません。
幸い、私は幸運にも恵まれて、これまで「ためにする」ことをせずに人生を送ってきました。でも、ほとんどが誤解されてきました。一所懸命働けば「出世のためだろう」といわれ、大学で遅くまで管理の仕事をしていると「学長を狙っている」(私は大学に移ったとき、本当に教育は大切と思い、おもしろかったですし、一所懸命やっただけだったのですが)と勘ぐられ、原発が危険になり「原発は危ない」と言い始めると(2006年)、「寝返った」と言われました。
リサイクルが資源の浪費になると発表したときには、「損をするのに、なんでそんなことを言うのか」と言われました。でも、「ためにする人生」、「損得を考えた行為」は周りの人に不信感を与えますし、自分自身も心理的な負担があるので、決して、「得」にはならないと私は思います。
どうもいろいろ考えてみると、「よい子」の出現は「ためにする」仕事をしているからではないかと思います。たとえば、朝日新聞が戦前は「野球排斥」といい、戦後は「野球歓迎」になったのは、それぞれその時代のよい子になるためにとった態度ではないかと思うのです。
もし朝日新聞が「事実を報道する」ということなら、記事や編集は一貫していると思うからです。現在でも報道の揺れ、御用学者の出現などの社会の混乱は「よい子」になること、それは「ためにする言動」がその根底にあるように思います。
この世のことですから、「ためにする」のが無くなることは期待できませんが、その比率を少しでも減らし、また東大教授のような人は、才能に恵まれているのですから、本当に学問だけを考えて行動しても生活に困ることはないと思います。
今回の福島原発の事故からすこしでも教訓を得て、被曝した子供たちにすまないという気持ちを持って、透明性の高い、「ためにする」言動をしない社会に近づけたいものです。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月27日)
「会社倒産、20代で路上に」 若者ホームレス支援会議
tanakaryusaku
景気のさらなる悪化により「ホームレスは確実に増えている」と現場の支援者らは口々に語る。「貧困問題」は、昨今の原発災害や増税問題に掻き消されがちだ。こうした世相のなか、「若者ホームレス支援ネットワーク会議」が26日、都内で開かれた(主催:ビッグイシュー基金)。ホームレス支援の17団体が全国から参加した。
会議には街頭で『ビッグイシュー』を販売しながらアパートへの入居を目指す、ホームレスの男性2人が出席した。
大橋誠一さん(仮名・29歳=実際の年齢)は2000年に札幌の高校を卒業すると、愛知県の自動車部品メーカーで派遣労働者として働き始めた。08年秋、リーマンショックが襲う。大橋さんは住まい(寮)と職を共に失った。
その後、大阪の紙工場に勤めた。手取りは17万円。家賃と食費でほとんどが消え、貯金はできなかった。工場が昨年末、倒産。通話料金が払えなくなり、携帯電話を事実上失った。
上京したが携帯電話を持たないことから職は見つからず、ネットカフェに泊りながら仕事を探した。
支援団体は、大橋さんらのホームレス経験を参考にしながら、今後の取り組み方法を探求した。ある団体はネクタイの解体作業を行っている。実際に賃金が発生するため、ホームレスの支援に結びついているという。この他にも住宅費を軽減するための共同ハウスなどが紹介された。
額に汗して働いていても、勤め先の倒産などにより瞬く間に路上に弾き出されるのが今の日本だ。不運にもホームレスになった場合、支援団体の力を借りながら仕事や住まいを見つけることが得策だ。
「ビッグイシューの販売」で身を立てている大橋さんは「早くアパート住まいになることが夢」と目を輝かせた。
景気のさらなる悪化により「ホームレスは確実に増えている」と現場の支援者らは口々に語る。「貧困問題」は、昨今の原発災害や増税問題に掻き消されがちだ。こうした世相のなか、「若者ホームレス支援ネットワーク会議」が26日、都内で開かれた(主催:ビッグイシュー基金)。ホームレス支援の17団体が全国から参加した。
会議には街頭で『ビッグイシュー』を販売しながらアパートへの入居を目指す、ホームレスの男性2人が出席した。
大橋誠一さん(仮名・29歳=実際の年齢)は2000年に札幌の高校を卒業すると、愛知県の自動車部品メーカーで派遣労働者として働き始めた。08年秋、リーマンショックが襲う。大橋さんは住まい(寮)と職を共に失った。
その後、大阪の紙工場に勤めた。手取りは17万円。家賃と食費でほとんどが消え、貯金はできなかった。工場が昨年末、倒産。通話料金が払えなくなり、携帯電話を事実上失った。
上京したが携帯電話を持たないことから職は見つからず、ネットカフェに泊りながら仕事を探した。
支援団体は、大橋さんらのホームレス経験を参考にしながら、今後の取り組み方法を探求した。ある団体はネクタイの解体作業を行っている。実際に賃金が発生するため、ホームレスの支援に結びついているという。この他にも住宅費を軽減するための共同ハウスなどが紹介された。
額に汗して働いていても、勤め先の倒産などにより瞬く間に路上に弾き出されるのが今の日本だ。不運にもホームレスになった場合、支援団体の力を借りながら仕事や住まいを見つけることが得策だ。
「ビッグイシューの販売」で身を立てている大橋さんは「早くアパート住まいになることが夢」と目を輝かせた。
頭の整理・・・被曝と健康(3) 病気にならないために(鎌形赤血球白血症)
頭の整理・・・被曝と健康(3) 病気にならないために(鎌形赤血球白血症)
端的に言えば、「放射線で被曝しても病気にならなければ良い」ということです。キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見してから、およそ100年。レントゲン写真、原子力発電など人類は多くの原子力科学を「人間の人生をより豊かに、健康に送ることができるため」に使ってきました。
その中には原子爆弾のような間違いもありましたが、それは間違いであって、原子力という科学が本来、目指しているものは「幸福と健康」に他なりません。間違えないようにしたいのは、原子力が目指すものは「電気」とか「兵器」ではないのです。
・・・・・・・・・
もしも原子力が電気を起こしたり、肺結核を検査することができるだけなら問題がないのですが、「放射線の被曝」というやっかいなものを伴うので、そのバランスが大切になります。そこで、「被曝と健康」という関係は原子力にとって最重要なテーマでもあったし、また今後もありつづけると考えられます。
人間は約600万年前に誕生して以来、ずっと「自然からの放射線」を浴びています。なにしろ、太陽が巨大な原子炉ですし、宇宙のエネルギーのほとんどが原子力エネルギーですから、自然界に放射線があるのは当然で、人間はそれを浴びることになります。
日本では平均して1年に1.5ミリシーベルトで、東日本は少し低く、西日本は高い傾向があります。これは放射線をだす岩石が西日本に多いからです。そのほかに宇宙線やカリウムの中の放射性同位元素などからも被曝します。
世界では自然放射線が強いところがあります。極端な場所は別にして、古い岩石の多いところなどで高いところがあるようです。平均は1年に2.4ミリシーベルトぐらいになります。
人間ばかりではなく、あらゆる生物はその環境で最適になるように体ができていて、それは自然淘汰で決まっています。たとえば、放射線にとても弱い生物はもともと地上で生きていくことができませんし、自然の放射線が強いところには「被曝に強い生き物」が競争に勝ち残りますし、放射線が弱ければ「被曝には弱いけれど、他の攻撃には強い」というような生物が残ります。
・・・・・・・・・
たとえば、有名な遺伝子障害(被曝が原因では無いと考えられているが)に「鎌形赤血球貧血症」という病気があります。この病気は遺伝的にヘモグロビンの異常があり、多くは30歳ぐらいで重度の貧血を起こして死亡します。だから、「普通の環境のところ」では鎌形赤血球貧血症の人はほとんどいません。
30歳で死亡する人より60歳まで生きる人の方が子供を作るチャンスが多く、また社会の競争にも勝てるからです。
ところが、マラリアが蔓延する地方(亜熱帯)では、この病気が多いのです。その理由は、昔はマラリアにかかったら25歳で死に、マラリア原虫(マラリアのもと)は鎌形赤血球の人には感染しないからです。つまり、鎌形赤血球貧血症になれば30歳で死にますが、マラリアにかかると25歳。そして鎌形赤血球貧血症になればマラリアにはならないので、25歳で死を迎えることなく、30歳まで生きることができるからです。
両方とも哀しいのですが、自然淘汰というのは厳しいもので、25歳でマラリアで死ぬような地方では、それより少しでも長生きするチャンスがあれば、それが30歳で死ぬ病気でも、そちらを選ぶのです。
・・・・・・・・・
このようなことなので、日本人の場合、1年1.5ミリシーベルトまでの自然放射線なら「一応」安全と言うことができます。ここで「一応」と括弧をつけたのは、「自然にある放射線だから安全」というのは何の根拠もないということです.むしろ、厳密に言えば「自然放射線だから、あきらめる」と言った方が科学的・医学的には正しいと言えます。
なぜかというと、生物の歴史は自然放射線や太陽からの紫外線との戦いでした。初期の頃の生物は空から降ってくる放射線や紫外線でガンなどの病気になり、抵抗力をつけていきました。そのような戦いの結果、今では「一応の人生を送ることができる」ということだけで、現在、1年に30万人の方がお亡くなりになっているガンのうち、どのぐらいが「自然放射線による被曝が原因」しているかは「医学的に不明」だからです。
「不明」というのは「安全」とは違います。ヨーロッパの被曝専門の医師が言っているように、「現在のガンのある程度は、放射線によるものだから、医療用被曝も注意が必要」というのが本当なのかも知れないのです。
つまり、「自然放射線だから安全」とか、「自然放射線が1.5ミリだから、それ以下は大丈夫」というのは医学的にも論理的にもなんの意味もないのです。仮に人工放射線が1年1ミリとすると、合計で2.5ミリになりますが、「1.5ミリの被曝が安全だから2.5ミリは安全」というのも非科学的です。
政府の人が事故を小さく見せるために、放射線医療の専門家が放射線医療をやりやすくしたいために、新聞がよい子を演じたいために「大丈夫だ」と言いたい気持ちはわかりますが、「自分の利益のため」ではなく「被曝する子供たちのことを考えて」発言して貰いたいものです。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月26日)
端的に言えば、「放射線で被曝しても病気にならなければ良い」ということです。キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見してから、およそ100年。レントゲン写真、原子力発電など人類は多くの原子力科学を「人間の人生をより豊かに、健康に送ることができるため」に使ってきました。
その中には原子爆弾のような間違いもありましたが、それは間違いであって、原子力という科学が本来、目指しているものは「幸福と健康」に他なりません。間違えないようにしたいのは、原子力が目指すものは「電気」とか「兵器」ではないのです。
・・・・・・・・・
もしも原子力が電気を起こしたり、肺結核を検査することができるだけなら問題がないのですが、「放射線の被曝」というやっかいなものを伴うので、そのバランスが大切になります。そこで、「被曝と健康」という関係は原子力にとって最重要なテーマでもあったし、また今後もありつづけると考えられます。
人間は約600万年前に誕生して以来、ずっと「自然からの放射線」を浴びています。なにしろ、太陽が巨大な原子炉ですし、宇宙のエネルギーのほとんどが原子力エネルギーですから、自然界に放射線があるのは当然で、人間はそれを浴びることになります。
日本では平均して1年に1.5ミリシーベルトで、東日本は少し低く、西日本は高い傾向があります。これは放射線をだす岩石が西日本に多いからです。そのほかに宇宙線やカリウムの中の放射性同位元素などからも被曝します。
世界では自然放射線が強いところがあります。極端な場所は別にして、古い岩石の多いところなどで高いところがあるようです。平均は1年に2.4ミリシーベルトぐらいになります。
人間ばかりではなく、あらゆる生物はその環境で最適になるように体ができていて、それは自然淘汰で決まっています。たとえば、放射線にとても弱い生物はもともと地上で生きていくことができませんし、自然の放射線が強いところには「被曝に強い生き物」が競争に勝ち残りますし、放射線が弱ければ「被曝には弱いけれど、他の攻撃には強い」というような生物が残ります。
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たとえば、有名な遺伝子障害(被曝が原因では無いと考えられているが)に「鎌形赤血球貧血症」という病気があります。この病気は遺伝的にヘモグロビンの異常があり、多くは30歳ぐらいで重度の貧血を起こして死亡します。だから、「普通の環境のところ」では鎌形赤血球貧血症の人はほとんどいません。
30歳で死亡する人より60歳まで生きる人の方が子供を作るチャンスが多く、また社会の競争にも勝てるからです。
ところが、マラリアが蔓延する地方(亜熱帯)では、この病気が多いのです。その理由は、昔はマラリアにかかったら25歳で死に、マラリア原虫(マラリアのもと)は鎌形赤血球の人には感染しないからです。つまり、鎌形赤血球貧血症になれば30歳で死にますが、マラリアにかかると25歳。そして鎌形赤血球貧血症になればマラリアにはならないので、25歳で死を迎えることなく、30歳まで生きることができるからです。
両方とも哀しいのですが、自然淘汰というのは厳しいもので、25歳でマラリアで死ぬような地方では、それより少しでも長生きするチャンスがあれば、それが30歳で死ぬ病気でも、そちらを選ぶのです。
・・・・・・・・・
このようなことなので、日本人の場合、1年1.5ミリシーベルトまでの自然放射線なら「一応」安全と言うことができます。ここで「一応」と括弧をつけたのは、「自然にある放射線だから安全」というのは何の根拠もないということです.むしろ、厳密に言えば「自然放射線だから、あきらめる」と言った方が科学的・医学的には正しいと言えます。
なぜかというと、生物の歴史は自然放射線や太陽からの紫外線との戦いでした。初期の頃の生物は空から降ってくる放射線や紫外線でガンなどの病気になり、抵抗力をつけていきました。そのような戦いの結果、今では「一応の人生を送ることができる」ということだけで、現在、1年に30万人の方がお亡くなりになっているガンのうち、どのぐらいが「自然放射線による被曝が原因」しているかは「医学的に不明」だからです。
「不明」というのは「安全」とは違います。ヨーロッパの被曝専門の医師が言っているように、「現在のガンのある程度は、放射線によるものだから、医療用被曝も注意が必要」というのが本当なのかも知れないのです。
つまり、「自然放射線だから安全」とか、「自然放射線が1.5ミリだから、それ以下は大丈夫」というのは医学的にも論理的にもなんの意味もないのです。仮に人工放射線が1年1ミリとすると、合計で2.5ミリになりますが、「1.5ミリの被曝が安全だから2.5ミリは安全」というのも非科学的です。
政府の人が事故を小さく見せるために、放射線医療の専門家が放射線医療をやりやすくしたいために、新聞がよい子を演じたいために「大丈夫だ」と言いたい気持ちはわかりますが、「自分の利益のため」ではなく「被曝する子供たちのことを考えて」発言して貰いたいものです。
中部大学武田邦彦
(平成24年1月26日)