サム・クックを深く愛する人にとって「ライブ盤はハーレム・スクエア・クラブ(以下ハーレム)と、コパとではどちらが良いか?」という問いは、今や愚問となってきた。
好みこそ多少の違いはあれど、そこに優劣をつけようとする人は殆どいなくなったと思う。
それでもこの2つのアルバムは、良い悪いは別にして対照的な関係であることには変わりない。
「黒盤と白盤」と言われるように「黒人向けのハーレムと、白人向けのコパ」は当たり前のことのように知られているが、他にも「若者のハーレムと、大人のコパ」や「地方のハーレム、都市のコパ」、更にはセットリストの全体像から「オリジナルのハーレムと、カバーのコパ」や、開催時期からの対比で「冬のハーレム、夏のコパ」とも呼ぶことができる。
よくこの短い生涯で、ライブ盤を1枚だけでなく対照的な2枚のアルバムを残してくれたものだと感心する。
更にそこに加えるとすれば"Gospel Stars in Concert"というゴスペル時代のライブ音源まで残してくれていたのだから奇跡と言わざるを得ない。
こうやって自分の知らない過去の時代のライブ音源を現代でトータルに聴き比べできることは何て幸せなことか。
サム・クックをリアルタイムで聴いていなかった世代が、音源が出そろった現代で優越はつけないまでも、ハーレムが好きとかコパが好きとかの好みが分かれて当然なことだと思う。
昨年のウィリー・ハイタワーの来日公演を観たり、今月発売された"BLUES & SOUL RECORDS(2019年2月号)"に掲載されていたウィリー・ハイタワーのインタビュー記事を読んで、あることに気づいた。
雑誌は発売されたばかりなので内容は詳しく書かないが、ウィリーはゴスペル時代のサム・クックがスターラーズの一員として地元に訪れていた時に自己紹介をしていたという。
当然、ウィリーはサムと同世代を生きていたわけで、リアルタイムでサム・クックを聴いてきたわけだ。
記事を読み進めると、どうやらウィリーはハーレムのライブ盤の存在を知らなかったようだ。
いや、薄々はそうじゃないかと感じてはいた。
来日公演でのサム・クックもコパで演った選曲。
曲の合間に発するコパからの言葉の引用。
そんなことからウィリーはコパを親しんで聴きこんでたのではないかと推測はできていたからだ。
同じようにサム・クックフォロワーの最高峰にいるようなオーティス・レディングやオヴェイションズのルイス・ウィリアムズもコパからの選曲や言葉の引用があった。
オーティスに関しては、夭折だったため当然のことながら85年にリリースされたハーレムのライブ盤の存在など知らない。
ハーレムを知らないから彼らにとってはコパがサム・クックの一番のライブ盤であるのは必然だ。
では、仮にサム・クックと同世代を生きていた彼らにハーレムを聴かせたらその結果はどうだろう。
それでも彼らはやっぱりコパのライブ盤が一番と答えるはずだ。
リリース年が85年とはいえ、ライブが行われていたのはコパよりも一年早く、しかも彼らの同胞が溢れかえって集まっているゲットーでサム・クックが同胞に向けてプリーチしまくったあのハーレムだ。
現代の日本人の私たちより、オーティスやウィリーの心に響いて当たり前のライブ盤。
しかし、それでも彼らはコパの方が上だと答えるに決まっている。
演奏が荒く、サム・クックの声も荒れていて、録音状態もコパに比べて劣る。
そんなことで評価してるわけじゃない。
そこまで言い切る彼らのゆるぎないコパへの執着心と愛情は何か。
それは同時代にハーレムより先にリリースされたコパを初めて聴いた感動体験だ。
若い頃に味わった初めての感動体験は、後からどんなに素晴らしいものが出てきても、悲しいかなそれを超えることはできない。
ハーレムもきっと良いねと彼らは評価するだろう。
でもそこまでだ、やはりコパは超えられない。
こちら側からハーレムはあなた方に向けてのライブです、コパよりハーレムの方があなた方は良いはずですよ!なんて推し勧めるなんて愚行だ。
彼らにとってハーレムは『救い』であり、コパは『夢』だ。
救いのステージは幼い頃から教会で当たり前のように観てきた光景であり聴いてきた音。
クリスチャンでない日本人が驚くほどのことではない。
それよりも華やかな未来を想像させてくれたサム・クックのコパでの夢の手本が、当時の彼らが求めていたものなんだ。
そんな彼らの感情を変えられることなんかできない。
だから現代のフラットな状態でそれらのライブ音源を聴き比べられない彼らが可哀想だとは思わない。
コパの感動だけで十分だからだ。
自分たちの同胞の中から生まれたスターが上り詰めた最高のステージ音源。
それだけで十分なはずだ。
冒頭で「ハーレムとコパとではどちらが良いか?」は愚問だと言った。
オーティスやウィリーもハーレムは悪いとは言わないだろう。
ただ彼らはコパが好きになってしまったということ。
どちらのライブ盤も素晴らしくて優劣がつけられない。
ふと、そんな状態の諺を、サム・クックのライブ盤でできないかと考えていた。
「いずれ菖蒲か杜若」
それを引用して「いずれ白コパ黒ハーレム」なんてどうだろう。
もし冒頭の愚問を投げかけられたときは、対処法としてこの諺を使って頂けたなら、なんて(笑)