「ビートルズは誠実さを持っている。若い彼らは鋭い観察能力で市場を調査し、求められているものを供給しながらレコードを売っている。」 サム・クック

ビートルズ旋風が世界を席巻し始めた64年頃に、サム・クックも彼らの業績を認め音楽ビジネスの巧みさを褒めていた。
イギリスではリトル・リチャードやサム・クックのような黒人音楽が当時の若者たちに支持され、ビートルズやローリング・ストーンズのようなバンドが生まれた。

年代差はあれど、互いにチャートを賑わせ、リスペクトしあっていたサム・クックとビートルズ。
64年の前半にはサム・クックのマネージャーであるアレン・クラインと、ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインとの間で、グループの次のツアーでビートルズとサム・クックを共演させる計画まで考えられていた。
サム・クックのファンとしては実現してもらいたかった共演だが、結局話はまとまらず破談になってしまった。

後にサム・クックが籍をおくABKCOにビートルズやローリング・ストーンズも一時期身を寄せることになるが、サムがもう少し長生きしていれば、彼らとの共演も容易く行われていたかもしれない。
逆にそれ以前にサムがABKCOと喧嘩別れをしていれば、彼らもABKCOに移籍することもなく、トラブルを起こすことも無かったのかも。。。

 

突然こんなことを書き出したのには訳がある。
実はサム・クックとビートルズは共演していたのだ。

64年11月、サンタモニカ・オーディトリアムではテレビ番組の『T・A・M・I・ショウ』の収録が行われていた。
そこではイギリス勢とソウルの究極の対決として、ジェイムス・ブラウンが脚を振り上げ、ミック・ジャガーは唇を尖らせていた。
丁度ビートルズは「ハード・デイズ・ナイト」をヒットさせ、サム・クックもイギリスからの侵略者たちを死ぬほど踊らせようと「シェイク」と、その続編となる「イッツ・ガット・ザ・ホール・ワールド・シェイキン」の録音を始める頃だった。
ジェイムス・ブラウンはローリング・ストーンズとの対決。
方や、サム・クックはビートルズとの対決。
それはサム・クックが亡くなる1カ月ほど前の11月5日のことだった。
場所はアメリカのジョージア州にあるマコン・オーディトリアム。
その時の共演を伝えるポスターがこれだ。
 

 

 

 

そう、ビートルズはビートルズでも、5人の黒人グループのブラウン・ビートルズ(笑)

ここまでの長い前フリは、このくだらないオチだけのものでした。。。すみません(^_^;)

 

ただ、このブラウン・ビートルズには興味深いことがあって、同じ年の8月1日にも場所も同じマコン・オーディトリアムで先にコンサートを行っていた。

その時の告知ポスターがこれ。

 

 

 

 

共演はサム・クックではないが、アイズレー・ブラザーズや、今年の7月に来日が予定されているカーラ・トーマス、そしてジョー・テックスらのビッグ・ネームが並んでいる。

そして一番下に表記されているブラウン・ビートルズ。

写真はサムとの共演時と違い”ザ・タン”という3人組と思わしきグループと一緒になり、8人組で”ザ・タン&ブラウン・ビートルズ”としての出演だ。

興味深いのは8人組から5人組になったってことではなく、ブラウン・ビートルズのスペル。

この時は“THE TAN & BROWN BEATLES”とし、やたらと”BEATLES”の文字を強調して、イギリスのビートルズと思わせるような表記のしかたをしている。

この頃には既にアメリカでもビートルズは有名になってただけにちょっとした便乗を狙ってたんじゃないかと思う(笑)

で、もう一度このコンサートから3か月後に行われたサム・クックとの共演時のポスターの表記を見てもらうと、ブラウンとビートルズが同じ大きさに変えられ、しかもイギリスのビートルズと混同されないようにか“BEETLES”と、スペルまで変えられている(笑)

ブラウン・ビートルズはジョージアの狭い範囲内でしか活動していなかったグループだと思うが、多分、そんなグループが紛らわしいビートルズを名乗っていたので、色々と問題があったのか、こりゃいかんと慌ててスペルを変えたんじゃないかと。。。(^_^;)

 

ま、そういうことで、強引ではありますが、サム・クックとビートルズは共演していたということで、どうぞよろしくお願いします(笑)