長い間パーキンソン病と闘っていた元ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリが、6月3日(日本時間6月4日)、74歳で逝去したと報道があった。

アリとサム・クックが親交があったことを知っているファンは、SNS上でもサムとの思い出を語り惜しむ声を多く見かけた。
サム・クックとの仲の良さを物語るように多くのツーショット写真や映像などが残されているので、それらを見ながらここでもアリを追悼していこうかと。

まず、2人の関わりで印象に残っているのは、63年の12月7日にサム・クックが出演したジェリー・ルイス・ショウ。
この2時間のバラエティ番組に、先に出演が決まっていたのはカシアス・クレイ(モハメド・アリ)で、彼の強い要望でサム・クックの出演が実現したという。
この出演の前から付き合いがあったかは分からないが、これをきっかけに2人の親交は深まっていったと思う。
サム・クックが"Twistin The Night Away"と"The Riddle Song" の2曲を続けて歌った映像はYouTubeの方で良くご覧になられていると思うので、その時のアリの映像の方を。

Cassius Clay on The Jerry Lewis Show. Part I (December 7, 1963)

冒頭から自分のことより、一緒に出演できたサム・クックの名前をあげてるところが本当にリスペクトしていることがよく分かる。

2人は番組の中では一緒に映ることはなかったが、控室なのかすれ違うサムとアリの写真が残されていた。


翌年の64年2月25日に、アリとソニー・リストンの試合が行われたフロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターで、サムとアリは再び出会うことになる。
試合に勝利した直後、アリはサムをリング上に呼び「世界一グレートなロックンロール・シンガー」と叫び、サムはアリを「僕が今までに見た中で、最もグレートなエンターティナー、ショウマンの一人だ。彼は同胞の若者たちにとって、素晴らしい手本だ」と言った。

Sonny Liston vs Cassius Clay(Muhammad Ali) (February 25, 1964)



妻のバーバラとJ.W.アレクザンダーに挟まれてアリの試合を観戦しに来たサム。


試合後にサム・クック(Sam Cooke)とマルコムX(Malcolm X)とアメリカン・フットボールの名選手のジム・ブラウン(Jim Brown)が、マイアミのアリが宿泊していたホテルの一室に集まり、祝賀会を行っていた。
その時の様子を"One Night in Miami" (マイアミの一夜)として二年前に舞台劇として作られた。

Your first look at "One Night in Miami"


映像にはサム・クックの黄色いジャケのベスト盤をマルコムXが持ち込み、サム・クック役の人物が"A Change Is Gonna Come"を歌っていたりする。
祝賀会とあり皆がベットで飛び跳ねたりと賑やかな夜だったように思えるが、実際は何者かの盗聴疑惑もあり、静かな夜だったとも言われている。
次の日の朝、カシアス・クレイはマルコムXの影響でイスラム教に改宗し、モハメド・アリを名乗るようになる。
ジム・ブラウンも早々に引退し、無謀にもモハメド・アリにリングで戦うように申し出たらしく、アリがその場でジムにワンツーパンチをお見舞いしてノックダウンさせ、それによってジムはボクサーを諦め俳優の道へ進んだという。


WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦し、勝利を得ることがアリにとっての大舞台であったならば、同じ年の夏(7月)に控えていたコパ公演はサムにとってのソニー・リストン戦だった。

「僕の自尊心は大きいんだ。僕はすべてを手に入れたい。彼等に言ってやりたい事があるんだ」「僕をブッキングしてくれよ!大向こうを沸かせてやるから!」

アリのようにビッグマウスでそう言っていたサムも、前回のコパ公演の失敗が忘れられないのかライヴ当日の彼は不安の中、緊張していたという。
バックステージの彼は、行ったり来たりしては、手を擦り合わせていた。
そこへ他のシンガーやレコード会社の役員とともに現れたのがモハメド・アリだった。
ソニー・リストン戦で応援に来てくれてたサムを、今度はアリが励ます為に楽屋に訪れていた訳だ。
アリもきっとこのコパ公演の成功がサムにとってどれほど重要だったか分かっていたのかもしれない。




モハメド・アリはソニー・リストンに、そしてサム・クックはコパ公演にとそれぞれが勝利し、互いの分野でチャンピオンとなった彼らが、意気揚々と仕掛けてきたのが、64年の3月に行われたアリのレコーディングだった。


2人が一緒に写るこの時の写真が一番多く残されている。






やはりボクサーに歌わすというのは難しいのかサムの険しい顔が伺える(笑)






手取り足取り。アリは椅子に腰かけているのか歌唱指導するサムがこの時ばかりは大きく見える。






何か考えこむサム。アリが上手く歌えますようにと神に祈っているのかも(笑)



























楽しそうにリラックスした雰囲気も感じられる。






本国イギリスよりアメリカでの人気が高かったデイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)が、丁度アメリカに進出してきた頃にレコーディングを覗きにきていたようだ。






一緒にふざけて記念撮影。




かと思えば真剣な顔を見せてみたり、女性を饒舌なトークと、人懐っこい笑い声でたのしませてみたり(笑)







レコーディングが上手くいったのか気分良さそうなサム。







Sam Cooke and Muhammad Ali - The Gang's All Here
BBC Television (March 4, 1964)

レコーディング終了後にテレビ出演した2人は本当に仲が良さそうで、子供のように楽しんでいた。






最後に2人が会ったのは棺の中のサムと、葬儀に訪れたアリだった。



サムの死後、モハメド・アリは「もしサム・クックがフランク・シナトラだったら、ビートルズだったら、FBI は捜査を続けて、今頃あの女(バーサ・フランクリン)は監獄行きになっていたところだ」と、怒りを込めて言っていた。
アリのソニー・リストン戦の夜に集まったサム・クックがその夜から10か月後に亡くなり、丁度1年後となる4日前にマルコムXが亡くなった。
密会した4人のうち2人も1年以内に亡くなっている。
ボクシング、アメフト、音楽、宗教とそれぞれの分野で頭角を現した黒人たちの密会で、何かアメリカ全土を揺るがすような大きな計画でも立てられ、それを煙たがる何者かに、、、なんてことを考えてしまうほど短い期間に貴重な命が絶たれてしまった。
その2人にくらべると、病と闘いながらもここまで命を長らえたアリは何を思いながら息を引き取ったのだろうか。。。

丁度、この記事を書いている時に興味深い隠れサミー情報を教えて頂いた。

Mike Tyson - Tony Tubbs Training Sparring and Weigh in.


上の映像は、88年3月にトニー・タッブス戦で日本に来日したマイク・タイソンの練習風景。
この時のBGMにサム・クックの曲が使われている。しかも「チェイン・ギャング」、「キューピッド」、「ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」、「ハヴィング・ア・パーティー」と、スパーリングが始まる直前まであの黄色いベスト・アルバムが流されていた。タイソンは調子が良いと歌い出すようで「チェイン・ギャング」を口ずさんでいる。(2:17秒あたりから)

少し調べてみるとタイソンについて書かれた「マイク・タイソンの台頭」("The Rise of Mike Tyson,Heavyweight" p178)にこう書かれていた。

"As fight time drew near,Mike began his usual warm-up routine in the trailer,shadow boxing to the strains of Sam Cooke coming from his tape system."
「戦いの時間が近づいたので、マイクはトレーラーでいつものウォーム・アップ・ルーティンを始めた。そしてシャドー・ボクシングでは彼のテープ・システムから同人種のサム・クックが流れだした」

どうやらタイソンは来日時だけサム・クックを流していたわけではなく、日頃から練習時のルーティンの一つとして、鼓舞しリラックスする為にもサム・クックの曲を流していたようだ。

モハメド・アリが亡くなっても彼が好きだったサム・クックの曲や精神性を、次の世代がリスペクトし、引き継いでいたことが分かって堪らなく嬉しくなった。
タイソンはアリが亡くなった日にツイッターで「神がチャンピオンを迎えに来た。さようなら、偉大な者よ」と投稿し、「RIP(安らかに眠れ)」と悼んでいた。
ここでも同じように「安らかに」と締めようと思ったが、どうやら今回は違うように感じた。

生涯を通じてボクシングや政治社会、そしてパーキンソン病と闘い続けたアリは、以前サム・クックをリングに上げたように、今度はサムが若返ったアリをエスコートし、天国のリングへと再び上げ、アリはずっと何かと闘っているのではないかと思う。
サム・クックの歌う「パーティー」とは、アリにとっての「闘い」なような気がしてならない。

「天国でいつまでも闘い続けてください」

偉大な男へのはなむけは、こんな言葉が似合ってる。