A面 純愛のバラード(PLEASE LOVE ME FOREVER) 唄/ジミー・エレッジ
B面 フランキー・アンド・ジョニー(FRANKIE AND JOHNNY) 唄/サム・クック
(VICTOR SS-1373)

レコード・ストア・デイの次の日にヤフオクで落札したシングル盤。
今まで見たことがなかった珍しいレコードだったので少し熱くなってしまった。
競い合った方すみません(^_^;)

前々からこの「感性」を伝える宝のライナーのコーナーで取り上げていた、リトル・ペギー・マーチとの『B面になったシングル盤・「こんどの土曜に恋人を」』(VICTOR SS-1350)や、ペリー・コモ との『愛のゆく道 / 唄) サム・クック』(VICTOR SS-1357)のような、B面がサム・クックになってるカップリング・レコードの第3弾が今回のジミー・エレッジ盤。

前の2つの時はサム・クックがB面ということもあって、ジャケットにはサムではなくペギー・マーチやコモの写真が使われていたが、これにはジミー・エレッジの写真は使われず、60年代当時を思わせる洒落たタッチの線画が使われている。
そしてここまでずっとサム・クックの英語表記が、"Sam Cook"と"e"の抜けたものだったが、今回から正式な"Sam Cooke"に変わっていたことも以前との違いだ。

ライナーを担当しているのは当時ミュージック・ライフなどにも寄稿されていた菅沼孝夫さん。
では、まず最初のジミー・エレッジの紹介文のさわりから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
サム・クックとジミー・エレッジのヒット曲を二曲お贈りしましょう。
このレコードは'63年の11月、既に発売されたものですが、今度はA面とB面が逆になって、ここに新たに登場するわけです。
ジミー・エレッジはRCAのスターの一人として、あちらではかなり人気のある人なのですが、それに比し我が国での人気がパットしないのは彼の良さがまだまだ認められていないからなのでしょうか。
ナット・キング・コールとレイ・チャールズの声をミックスしたような声をもっており、そしてどちらかと言えばジョニー・ティロットソンやボビー・ヴィントンに非常によく似た歌い方をする人です。(以下省略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Jimmy Elledge- Please Love Me Forever


びっくりだったのは一度サム・クックがA面として先にリリースされていたということ。
←先に63年の11月に発売されていたのが、US盤のサム・クックの写真を白黒にして使用したこのジャケットの盤。
何故A面とB面を逆にして新たに発売されたのか分からないが、アメリカ本社か日本のRCAビクターかがジミー・エレッジをプッシュして人気を高めようとしていたのかも。
ジミー・エレッジの方は更に同じ曲"PLEASE LOVE ME FOREVER"であるにも関わらず、日本語タイトルを『とこしえに愛して』から『純愛のバラード』に変えている。
『とこしえに愛して』のタイトルが売れない理由とでも思ったのだろうか(笑)

気になりだすと他にも出てくるもので、最後のジミー・エレッジの歌声を例えるところなども、ジョニー・ティロットソンやボビー・ヴィントンを引き合いに出てくるのは分かるとして、白人のジミー・エレッジにナット・キング・コールとレイ・チャールズが出てきたのには「ん?」となった。耳のこえた菅沼さんだから間違いではないと思うが、どちらかというとサム・クックの歌声の引き合いだとまだ納得できたのに。。。

ま、そんな疑問は置いておいて、肝心なサム・クックの紹介文へ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方、サム・クックについては、これはもうゴスペル・シンガーとして余りにも偉大な存在ですので、皆さんよく御存じでしょう。
「ソウルの扇動者」として、サムがレコード会社の人を前にしてロスアンジェルスの聖教堂で初めて歌った時には、それはもう大変なものでした。
聖教堂のあちこちからタメ息がもれ、”これぞ我々が待っていたゴスペル・シンガーである”とばかり、サムが歌い終わった後も場内はわれんばかりの拍手が鳴りやまなかったということです。
それというのもサムがお父さんの「歌をうたうことは、自分の魂をぶつけることだ」という言葉をよく肝に銘じ、それをそのまま自分のものにしたからこそ、聴衆にあれ程の感銘を与えることになったのです。
そして勿論、サム自身敬虔な心を持った人ですし、このことは本当に人の心を動かすことのできる歌手は同時に立派な人格でなくてはならないという事を教えています。
最初のリリース・ナンバー「センチメンタル・リーズン」「オールマン・リバー」からヒット曲「ユー・センド・ミー」、そしてこの「フランキー・アンド・ジョニー」と、サムの歌の底に流れているものは、黒人の持っているあの強烈なバイタリティと神に捧げられた豊かな歌心以外の何物でもありません。
◆ フランキー・アンド・ジョニー
古くから伝わるアメリカの民謡。この曲もブルック・ベントン他、数多くの歌手が歌っていますが、サムのをもってベストと言うべきでしょう。
サムの熱っぽい歌いっぷりが、不気味な程の迫力にみち、聞く者を圧倒します。(菅沼孝夫)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ジミー・エレッジとのカップリングのライナーだというのに、限られた文字数の中でサム・クックのファンの心を鷲掴みにする解説の素晴らしさに思わず唸ってしまった。

ソウル・スターラーズからサム・クック自身を「ソウルの扇動者」として見立てたここでのロスアンジェルスの聖教堂というのは、1973年にUS SPECIALTYレーベルからリリースされたアルバム「ゴスペル・スターズ・イン・コンサート"GOSPEL STARS IN CONCERT"」が行われたシュライン・オーディトリアム(Shrine Auditorium)のことだと思う。
「ゴスペル・スターズ・イン・コンサート」の日本盤は1982年にようやくリイシューされているが、73年のUS盤が出る10年も前の63年に、その時の様子が菅沼さんの解説に書かれていることに驚いた。
そして、説教師の父からの教えによって敬虔な人格者となったサム・クックの生い立ちから、聴衆が感銘をうけるほどの歌手となった歌に込める精神性を上手く伝えられている。
当時、定かでなかったサム・クックの誕生日や生まれた場所などを記載して紹介するよりも、サムの魅力を伝える菅沼さんの解説には熱がこもっていた。

「サムの熱っぽい歌いっぷりが、不気味な程の迫力にみち、聞く者を圧倒します」
こんな菅沼さんのライナーを読むと、サム・クックがB面に降格されたことなどどうでもよくなって、その言葉をアテにサムのをもってベストとする『フランキー・アンド・ジョニー』をあらためて聴きたくなるのです。

Sam Cooke - Frankie and Johnny