では間違いを訂正してビル・ブリッジズ(Bill Bridges)のコンタクト・シートを公開することに。
その間違いとはサムが写真で抱きかかえていた赤ん坊をプールで溺死したヴィンセントとして紹介してたことで、よくよく調べてみるとそれはヴィンセントではなくリンダの妹となる次女のトレイシーだったということ。
恥ずかしながらトレイシーのことをすっかり忘れていた(^_^;)

コンタクト・シートの裏に記入されていた日付を見ると60年の11月30日となっている。
この頃トレイシーが60年の9月生まれなので生後3,4か月、リンダは53年の4月生まれなので7歳になる。
間違えていたヴィンセントが生まれたのは61年の12月で、今回のコンタクト・シートの写真の頃から約一年後に誕生することになる。

折角なので写真の枚数は多いものの時系列に並べ、サム・クックの伝記本を照らし合わせながらその時の様子を眺めていこうと思う。


サム・クックが新しいLP『スイング・ロー(Swing Low)』の制作中だった時にバーバラが産気づき、サムはアルバムの計画を中断し、ニューヨークから自宅のあるロサンゼルスに戻ってきた。
自宅と言ってもサムが最後に暮らしたエイムズ・ストリートにあるプール付きの豪邸ではなく、この頃はまだロサンゼルスの西42丁目2704番地にあるミドルクラスの住宅地に住んでいた。
サムは病院の廊下を行ったり来たりと落ち着かない様子で次女の誕生を待っていたという。

無事に生まれた次女の名前はトレイシー・サミーと名付けられた。
そのファースト・ネームはRCAのスタッフの女の子がふと口にした名前だったそうだ。
サムはトレイシーが生まれてゆっくり祝う暇も無く三日後にはニューヨークに戻ってレコーディングを開始していた。

レコーディングを終えてからも東海岸の長いツアーを周り、続いて西海岸で一連のワンナイターを終えたサムは、三カ月ぶりにロサンゼルスの自宅に帰りようやく新しく生まれた娘と一緒に過ごすことになった。

これらの写真がその時のもの。



01.

いきなりリンダとトレイシーと、サムの最高の笑顔でのベストショット。
久しぶりに我が子に会えたとあって喜びもMAXだったと思う(笑)
リンダはウーマック&ウーマックの頃と比べてもそれほど変わった感じもなく、バーバラとサムのパーツを組み合わせた誰が見ても二人の子供と分かる顔立ちをしている。削除した記事でも言っていたけど、リンダとトレイシーの姉妹でクック&クックという桜田淳子を思い出させるような名前でデビューしてほしかったな、なんて(笑)





02.
この日はカメラマンのビル・ブリッジズが一日密着しての撮影だったようだ。
トレイシーの扱いが慣れているのか7つ離れたリンダのお姉ちゃんぶりが可愛らしい。





03.
サム「ねぇ、リンダ、パパにもトレイシーを抱かしてくれない?」
リンダ「ダ~メ。」
※ここから中年男性の気持ち悪い仮想会話が続きます(笑)





04.
サム「トレイシーがパパの膝に乗りたいってぐずってるんじゃない?」
リンダ「そんなことないよぉ。」





05.
サム「やっとパパの膝の上に来たねトレイシー、パパだよ。」
リンダ「ほらぁ、トレイシー嫌だって私のほうを見てるよ(笑)」





06.
まだ首がすわってないのかな?





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11.
「可愛いなぁ。。。」





12.
「トレイシー、少しはパパの顔も見てよ(笑)」





13.
「ほら、カメラにむいて笑って。」





14.
リンダ「パパもういいでしょ。」





15.
サム「もう少し、ね。」
リンダ「もう、しょうがないなぁ。」





16.






17.
「パパ、もうそろそろ行かなくちゃならないんだ。」





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上着を取って戻る準備をするサム。





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21.






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暗くて分かりにくいが、トレイシーやリンダとお別れのキスとかしていたのかも。





24.
ドアを閉めるサムの後ろ姿が寂しそう。





25.
サムが自宅を出てから向かったのが現在もR&Bを専門に流している地元ロサンゼルスのラジオ局KDAY。
サムの自宅写真とは別日かとも思ったが、上着とシャツが同じだったこともあり今回のコンタクト・シートの写真が全て同日のものと判断した。
そのKDAYの一室だろうか子供たちと一緒にいた時とは違う真剣なまなざしで思考しているサム。





26.






27.
この女性が誰なのかが分からない。





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レコードを物色するサム。手前の男性も誰なのか分からない。





29.
左に腰かけているのがチャビー・チェッカー(Chubby Checker)。
この時の状況を色々と調べてみたものの詳しくは分からなかった。
ただトレイシーが生まれた9月はアルバム『スイング・ロー』にも収録されている『チェイン・ギャング』が快進撃をみせ、同じく9月にチャビー・チェッカーが『ザ・ツイスト』でビルボードを賑わせていたこともあって、サムとチャビーの2人がKDAYに招待されたのではないかと思う。
チャビーのヒットを受け、若者のダンスとして流行していたツイストが大人たちの間でも再び流行りだし、後に便乗したサムは『ザ・ツイスト』をカバーし、『ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』を作りヒットさせることになったのも、この時の縁があったからなのかも。





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33.
チャビー・チェッカーらと部屋の外に出るサム。
これでこの時のコンタクト・シートは終わっている。

(※2016年1月に訂正:ここまで読んで頂いて申し訳ありませんが、時系列に並べたと思っていた順が逆の流れだったことが判明しました。サムは日中にKDAYのラジオ局に訪れ、夕刻から晩の間に自宅に帰っての撮影となります。ご迷惑をおかけしました。)


休暇を何日かとって自宅に帰っていたサムは、妻のバーバラを連れて地元のナイトクラブに繰り出したりもしていたそうで、それが二人の共通した楽しみだったという。
今回のコンタクト・シートには妻のバーバラの姿は写っていなかったが、マネージャーのジェス・ランドと共に楽器を持って談笑する写真は以前から多く見られていた。
それも殆どが今回の写真家ビル・ブリッジズによるものだ。
プライベートな写真というのはあまり撮られたくないものだが、以前紹介した雑誌セピアでの記事にもあったように、変な噂が立たない為に定期的にカメラマンを同行させ、仲の良い家族を世間にアピールしてたんではないかと思う。
サムの思惑はそんなことだったのかもしれないが、素敵なシーンを撮り残しておいてくれたビル・ブリッジズに感謝したい。

トレイシーが生まれたと同時に作られたアルバム『スイング・ロー』は、サム・クックがRCAに移籍して以来、初めて同胞を意識したものだとサムは言っていた。
オリジナルの『チェイン・ギャング』にカバー曲のゴスペル・ソング。
このアルバムからようやく本来のサム・クックが戻ってきたように感じる。

アルバムの中に『祈り(Pray)』というゴスペル・ナンバーがある。

Sam Cooke - Pray


あなたが逆風にあい落ち込んでいるとき
祈ることを忘れないでください
あなたが眠るとき 日々の糧のために
祈ることを忘れないでください
そうすれば気持ちの良い朝を迎えることができます
あなたがトラブルにあったとき そのことを忘れないでください
それが解決する日まで祈ってください
もし祈らないならば 後に報いを受けるでしょう
祈りましょう lalalalala 祈りましょう lalalalala....


歌詞だけを見ると重いメロディーで信仰心を煽っているようにみえるがそうではなく、ラララ~♪とスイングするように明るく歌われているのがこの曲の特徴だ。
サム・クックの歌は頭を抱え込んで走り出したくなるほど悲しみを増幅させるものではなく、未来に希望を持たせる明るさがある。
この曲を録音していた時のサムはトレイシーの成長を祈っていたのかもしれないし、家族の健康を祈っていたかもしれない。
いや、もっと大きな単位の同胞の人権であったり、世界平和を考えながら歌っていたのかも。

宗教に関わらず祈ることは誰でもできる。

この頃のサムがどんな思いでこの曲を歌ったのか想像しつつ、気持ちの良い朝が迎えられるように明るく祈り続けてみようかと思います。